2004年1月第4週

強い寒波。

寒さに不慣れな西日本の人たちは、震えあがっているようです。島根県では水道管が破裂。ひとつの町が断水の憂き目に合いました。家屋もそうですが、水道管なども防寒にはそれほど気を使う必要がなかったんでしょうね。

こちらから野菜を送っている関西のお店でも、あまりの寒さに買い物客が減っているとか。他人事ではありません。このあたりでも1メートル近い積雪に遭遇したら、おそらく町の機能はストップするでしょう。野菜も収穫できなくなります。20年近く前の大雪では町どころか山の中でも、鹿や野鳥が大量に餓死したものです。

住み慣れた環境がちょっとでも変化すると、人も動物も右往左往するわけで、年間の平均気温が1~2度上下しただけで環境が激変するというのが、にわかに現実味を帯びてきます。お風呂といっしょ。個人差があるといっても適温の範囲は狭く、1~2度の変化でぬるい、熱いとなるわけです。まあ、湯加減のほうはどうにでもなりますけど、地球規模のお風呂となるとねえ。わたしたちが生息できる世界というのは、ほんとうに細い帯のような範囲内。綱渡りさながらなのに、よくこれだけ好き勝手なことをやってるなあ、と今更のように感心したりして・・・。

感心している場合ではありません。豪雪地帯はもちろん、慣れない雪に見舞われた地方の方も、先週は雪かきご苦労さまでした。

会員の方から本を送っていただきました。本田立太郎著“トンダ・モンタ総理っ!”(すふりか文庫)ですが、すでにご存じの方も多いと思います。でも、わたしは知らなかったので、胸がスカッとしますよ、というIさんのお薦めにしたがって一気に読んで、おっしゃる通り胸がスカッとしたのでした。短いのですぐに読めるんです。

80歳のド素人が総理に就任し、どこかの総理がもたもたしている改革をあっという間にかたづけて、年金問題まであっけなく解決できてしまうというお話。筋の運びもスピーディーです。でもトンダ総理は、特別なことはなにもしていない。あたりまえのことをあたりまえにやっただけです。でも現実には、あたりまえのことがあたりまえにはなかなかできない。それはなぜ?と筆者は問いかけているんです。そしてこの国の軍事力が、わたしたちの知らない間に世界第2位にまでなっていることを憂慮しているのですね。周辺諸国の言動がよく問題になるけれど、ほんとはこっちがケンカを売っているようなもんじゃないか、って・・・。

ここからはわたしの個人的見解ですが、政府の首を全員すげかえて、アメリカ大統領の首を変えても、はたして世界は変わるだろうか。いくらかは変わるでしょうけど、問題はむしろ人々の集合無意識という奥深いところにあるのでは・・・。小泉やブッシュといった個人にそれほどの力があるわけでなく、からくり人形みたいなもので、それを動かしている目には見えないエネルギー。そういうものを無数の人々が作り出しているのではないだろうか、という気がしたんですね。それは人々の見解や意志や希望といった表向きのものではなく、わたしたちが無意識に抹殺している自分自身、心理学で影(シャドウ)と呼ばれる抑圧された部分です。正があれば当然邪も生じるわけですが、邪というのはなかなか認めてもらえません。自分自身にすら認めてもらえない邪はどうなるかというと、地下に潜ってレジスタンス運動に身を投じるしかない。

世の中で起こっていることは、みんな起こるべくして起こっているので、だれがわるい、どちらがわるい、ではないのかもしれない。“トンダ・モンダ総理っ!”を読んで、こんな感慨にふけるのは著者の意図するところではないかもしれませんが、こういう正論が“生論”になるためには、どうしたらいいんだろう。それには現実の表層で声高に叫ぶよりも、地下のレジスタンスを承認、解体してしまうこと。とまあ、口でいうのは簡単ですが、これこそ難問で、胸がスカッとしたものつかの間、とてつもなく大きな闇をかかえこんでしまったわけです。

ひとつはっきりしていることは、世界の闇も人の心の中の闇も、まわりから承認されたとたんに氷解してしまうこと。国家の脅威も、通り魔や病害虫の脅威も、基本的には同じもので、そのもの自体が邪悪なのでなく、ひとつの影にすぎないということです。思えば影というのは光に背を向けているからできるもので、光源から遠ざかるほど長く大きくなるものです。もしかしたら今世紀に入って大きくなってきた混乱は、わたしたちを光の方角へ向かわせるためなのかもしれない。そんな風に考えて、ようやく人心地つきかけているところです。

今週の野菜とレシピ

寒さのせいか、野菜が高騰しているようです。益子GEFではそういうことはありませんが、畑で凍結したまま傷んでしまうものも出てきそう。春に向かって青もの不足が心配されますが、今のところは大丈夫ということです。

ホウレン草も毎朝の霜で葉先が枯れて、いわゆる霜焼け。見栄えがわるくなっていますが、味は逆によくなっています。小松菜も霜焼けになった外葉を取り除いたら、こんな格好に・・・。しかしホウレン草同様、甘くやわらかくなっていますから、霜というのは砂糖をまぶしたように見えるだけでなく、ほんとうに甘いのかしら、と思うほど。大根がダメになりそうなので、好子さんのお母さんの沢庵が再度お目見え。市販の沢庵は少し食べても喉がかわくのに、これはいくら食べても喉がからからにならないから不思議です。喉がかわくのは添加物のせいだったのかもしれませんね。糠床に麹の甘みを加えた沢庵は、このあたりではお茶受け用。でも、ご飯にもよく合います。

今週からじゃが芋はメイクィーンになります。横畠さんのメイクィーンはほんのり甘く、人気商品なのですが、今年も無理をいって分けてもらいました。煮くずれしないので、煮物に最適です。

このところの寒さでネギも凍りつき、おかげで甘くやわらかく、もみほぐされています。小口切りにしたネギを味噌で和えると香りがよく、体もポカポカしてきますから、朝食やお弁当のおかず向き。チリメンジャコを胡麻油でカリッさせたところに、小口切りのネギを多めに入れてさっと火を通し、醤油と唐辛子で調味。ネギを炒めすぎないのがコツで、半生ぐらいがおいしいのです。仕上げに煎り胡麻をたっぷり加えて・・・。これもご飯がよく進み、風邪の予防にもなりそうです。

空気が乾燥しています。こんなときは埃が立ちやすく、農家などは土埃で風邪をひくことがあるぐらい。まめにうがいをしてくださいね。