落ち葉

2004年11月第3週

風が吹くたびに、地面に落ちた葉が乾いた音を立てます。カサカサ、サラサラ、ズルズルとかぼそい音を立てながら、家の陰などの吹きだまりにそれが集まります。音の絶えた家の中で、暗がりで進行中のそんな音を聞いていると、まるでそれ自体、ひとつの大

きな生きものみたいな・・・。

ああ、こんな風にカエルもトカゲもヘビも、今ごろ塒に向かっているんだろうな、と思いながら寝床に入ると、こころなしか布団の中もあたたかい。家の中のあちこちで、産卵を終えたカマキリを見かけるのも今時分です。猫の出入り口のある台所や、犬と山羊の出入りする土間のあたりがいちばん多く、棚の上やカーテンの裏側でひっそりと死を待つもの。すでにひからびてしまったもの。

中には命からがら逃げ出してきたオスが、そんなところでメスに遭遇し、翌朝には姿を消してしまっていることも・・・。

生と死がもっとも目につきやすい、ドラマティックな季節なのかしれません。死があるから生が輝き、生を内に秘めているから死もまた輝く。そんな蝋燭みたいな小さな火が、幾重にも連なりながらあちらこちらで燃えているから、晩秋というのは意外にあたたかいのかもしれませんね。

草木が萌える早春の冷たさ、寒さと、屍が累々と横たわる季節のぬくもり。わたしたちの死生観をくつがえすかのような季節の対比を見ていると、この世界の二重構造がかいま見えそうな・・・。落ち葉の穴のような小さな裂け目から、あの世とこの世が段々重ねのミルフィーユ状態で立ち現れそうな気配があります。

あの世もこの世も、同じ空間を共有しているのだろうから、わたしたちの生活の場に天国があり、それがもしあるんだったら地獄もあるはず。ただ、次元がちがうから目には見えないけど、手を伸ばしたところが地獄だったり、鼻の先が天国に突入していたりなんてことは日常茶飯事。ただ、わたしたちがそれに気づいていないだけで・・・。

でも、動物はわたしたちよりもっとしなやかに、ミルフィーユのパイ部分とクリーム部分の層のこと、同じクリーム層でもそれが生クリームかカスタードクリームか、などといったことを理解しているのかもしれません。たぶん出入りもヒトより自由。哺乳類より爬虫類、爬虫類より昆虫類、昆虫類よりもっと小さな虫や菌類といった風に、原始的になればなるほどフリーパスになるのではないか、、というのはあくまでも推測なんですが・・・。

猫なんて、昼寝の最中にもあの世とこの世を好き勝手に行き来しているみたいだし、半眼でひなたぼっこしながら充電中の爬虫類など、当の本人にも生死の境が定かではないのでは?そして気圧の変化や、空気中のイオンバランスで瞬時に発生、または消滅する羽虫など、緞帳の上げ下げだけでどうとでもなるのかもしれません。

しかし、もっとも自由にバリアフリーを楽しんでいるのは植物かもしれません。みずから地中部と地上部という二重構造をもったかれらは、このミルフィーユ世界の優等生的存在ですし、創生期には生命の先駆けとして、この地上にあらわれているからです。生も死もいっしょくたに丸呑みしたようなたくましさと、そのどちらも知りつくした繊細さとうつくしさ。そのうえでどちらも同じ世界なんだよ、と微笑みかけてくるような・・・。

わたしたちの生は衣食住、そのどこからも植物という要素が欠けたとたん、成立しなくなってしまうぐらい植物に依存しているのですが、別次元においてもわたしたちが迷子にならないよう、しっかりと繋ぎとめているんじゃないか。だって、この世のなごりでみずからの存在の不確かさに自信喪失、なんてことになるかもしれないし、あまりの開放感に塵となって霧散してしまわないともかぎらないものね。

植物の神秘だとか、魔力だとか、いろんな能力が話題になるけれど、もっと基本的なところでかれらはこの世のワクから大きくはみ出しながら、この世界と生きとし生けるものを支えている。いってみれば神のような存在ではないか、と思ったしだいです。落ち葉が転がり、掃き寄せられる音を聞いているうちにウトウトとなりながら、その懐の中でぬくぬくしている幸福感にひたってみるのもいいものですよ。。

今週の野菜とレシピ

待望のゴボウニンジンが入りました。とくにニンジンはこの夏、ちょうど種を蒔く時期に雨が降らなかったため、なかなか大きくなれませんでした。いつでもあって当たり前みたいな野菜ですが、それだけにないと不自由。葉っぱもやわらかいので、香味野菜としてスープやサラダにお使いください。

ごぼうは皮の部分に栄養分が集中していますので、洗う際、タワシなどを使いますと、大事なところがなくなってしまいます。泥を落とすときは、ふきんなど布を利用して、やさしく扱ってくださいね。風邪をひいたかな、と思ったら、皮つきのまま摺りおろしたゴボウ:大さじ1杯に、おろし生姜少々、味噌適宜を湯呑みに用意。熱湯を口まで注いで、ふうふういいながら飲んで寝ると、たいていよくなります。

葉っぱがちりちり天然パーマ。これはからし菜で、もともとは漬け物用。でも葉っぱがとてもやわらかいので、漬け物風のおひたしというのはどうでしょう。3センチ前後にザクザクと包丁を入れ、ボウルに移してから熱湯をまわしかけます。熱湯をかけるのは、からし菜特有のツーンとした辛みを出すためと、調理の手間を省くため。すぐに冷水にさらして塩をふり、しんなりしたら軽くしぼって、醤油と味醂:各大さじ1杯ずつまわしかけ、お好みで煎り胡麻,しらす干しなどを加えてください。

白菜といえば鍋ですが、鍋ものというのはいろんな具が入るため、意外と白菜そのものの消費量は少ないようです。白菜は新聞紙などに包んで立てておくと、一ヶ月近く日持ちしますが、中途半端に残った白菜はしだいに味が落ちてしまいます。濃いめの出汁で煮びたしにすると、大きな白菜も嵩が減りますし、うまみが凝縮されるのか、鍋もののときより味も濃厚に・・・。そしてこれは冷めてもおいしいんです。

サラダがおいしいぐらいですから、春菊は酢と相性がいいみたい。胡麻和えにも酢少々を加えるとあじがぐっととくなりますし、おひたしにするときも、甘酢に醤油を加えるぐらいの感覚で・・・。また、肉料理のつけ合わせに生葉をクレソン代わりに使ったり、今が旬の牡蠣フライの下に敷いて、レモンと塩で食べても美味。苦みのない、香りのいい春菊ですから、いろんな使い方をしてみてください。