冬のカラス

2004年12月第1週

朝起きると一面の銀世界。霜が降りているんです。例年ならあたりまえの光景が、今年はうれしい。12月に台風が発生するような年ですからね、あたりまえの季節の巡りが感動的になるのかも。

ところが週末にはまた夏の風。フィリピン経由の熱帯性低気圧のしわざです。先のことを考えなくていいのなら、暖冬もわるくはないんですけどね。軽装でいられるし、山羊の食糧にも不自由しない。柵の中がいつまでも青々としているせいか、山羊の動きにも余裕が感じられます。猫ものんびり日向ぼっこ。

しかし霜が降りてくれないことには、冬野菜がおいしくならない。こちらの気分もひきしまらないから、暖冬というわりに風邪をひいている人が多いのかもしれません。わたしもそのひとりで、風邪などもう何年もひいたことがなかったのに、今年はやられてしまいました。頭がボーッとしています。

毎朝、きまった時間に顔を出していたカラスのファミリーが、寒くなったとたん、足並みが乱れてきました。来なくなったというのではないけれど、今までみたいな真摯さがない。食べることにどん欲ではないのです。事務局に来るカラスも同様。

子供が巣立ってからは、食料の調達にも余裕が見られるようになってましたが、それに加えて恋の季節が到来したのです。恋といったって、お相手は古女房,古亭主なんだけど、何時間でもぴったり寄り添って羽をつくろったり、つくろわれたり・・・。どのカップルも熱々で、寒風などどこ吹く風。降りしきる雨の中、電柱のてっぺんに寄り添うカラスなど、冷たさ寒さを忘れさせるほど絵になりますしね。

恋猫は冬の季語ですが、恋烏が俳句の季語になっているかどうかは不明。猫のように鳴きたてることもなく、ひっそりと寄り添っているだけの恋だから、目につきにくいのかもしれませんが、これはぜひ加えてほしいよね。

寒くなると、今年巣立った若者集団も目につくようになります。人気のない路上などでじっと動かないカラスに出会うと、あたりの木立に若者たちが群れながら、事のしだいを見守っていたりするものです。なにをしているかというと、度胸だめし。車が来てもギリギリまで踏みこたえ、間一髪のところで飛び立つというゲームみたいで、命知らずの若者ならでは・・・。

だからといって、路上で轢かれたカラスに出くわすことがないところをみると、それなりに気をつけてはいるんでしょうね。ひと昔前は電線にカラスが集まって、代わる代わるさかさまにぶら下がり、そのまま落下する光景に出会ったものでした。ストーンと落ちてきて、地面すれすれのところで羽ばたくというゲームですが、そういうのも流行り廃りがあるのか、最近は見かけなくなりました。カラスの文化って、ほんとにおもしろい。

ともあれ、寒さの訪れとともに大人のカラスは恋に落ち、相手のいない若者は遊びに興じるようになる。寒さに向かって発情する動物も多く、凍るような寒さの中で生命の火が灯り、育まれることを思うと、冬枯れの中にこそ豊かさがあるのかもしれません。

というわけで、やっぱり冬は寒くないとね。冬の寒さがなかったら、すべての季節がいいかげんなものになって、カラスの文化もヒトの文化も存続すらあやうくなってしまいかねない。風邪にはつらいけど、早く本格的な冬が到来しないかなあ。

今週の野菜とレシピ

ようやくほうれん草が出てきました。京菜山東菜も入ります。京菜は若いうちはサラダ、もう少し育って大株になると鍋もの、霜があたってやわらかくなったものは漬物用と用途がさまざま。今週入るのは若い京菜ですから、サラダがおすすめです。3センチぐらいに京菜を切って、胡麻油でかりかりに炒めたちりめんじゃこをのせ、ポン酢でいただきます。さらに温泉卵を加えたら、卵のとろとろと京菜のしゃりしゃり、それにちりめんじゃこのかりかりが混ざりあって、もっとおいしくなりますよ。

淡い色合いの山東菜はサニーレタスの代用として、肉料理のつけあわせに使うことも可能。さっと湯がいて、油揚げといっしょに芥子醤油和えにしてもおいしいものです。油揚げは両面を軽くあぶってから細く切り、芥子醤油をからめておきます。そこに湯がいた山東菜を加えるだけ。山東菜だけを芥子醤油で和えてもいいのですが、油揚げが入ることで芥子がツーンと鼻をつくことがなくなるのです。

ヤーコンは二度目の登場。糖尿病や動脈硬化の方におすすめ。梨のようなしゃりしゃりした食感で、甘みがあります。スライスしてサラダに加えたり、拍子木に切ってきんぴらにしたり・・・。加熱してもしゃりしゃり感はそのままなので、輪切りにしたものを煮ふくめるという手もあります。

急に寒くなってきましたが、みなさんは風邪など召されませんように。