クマの冬眠・ヒトの冬眠

2004年11月第1週

ようやく晴天が続くようになりました。

今年は季節のめぐりが前倒し、という予想が外れ、気象庁を嗤えなくなってしまいました。タケノコが一ヶ月近くも早く出たので、てっきりそうなるはずが、思いのほか夏が長引いてしまいました。十月に入って秋雨前線が発達したり、台風が後から後から押し寄せたり・・・。十一月に入っても木枯らしどころか、小春日和が訪れるというありさまです。

それでもようやく木々が紅葉しはじめ、朝夕、冷えむようになりました。寒いのはつらいけど、なかなか寒さが訪れないというのも考えもの。ささやかな冬の気配に農家ともども、ほっとしているところです。犬猫も山羊も冬毛が生えて、ほんの少し太ったような・・・。その中で人間だけが薄着というのも不自然です。それどころか身勝手。だって、冬毛ははわたしたち。あちこちに迷惑をかけているみたい。

そのひとつがクマの出没。クマの過剰反応で傷を負った人は気の毒ですが、この秋、冬眠に入ったクマのうち、そのまま永眠してしまわずに、翌年また野山を駆けまわれる個体がどれだけいるか。食糧不足。かといって人里に出てくると、容赦なく追い返されるか、さもなくば殺されることになるのです。

冬眠に入るまでに、クマは春先の倍ちかくまで体重を増やしておかないと、冬を越すことができないそうです。そもそも、クマのような常温動物がなぜ冬眠などするんでしょう。ひとつには生き残り戦術として、食糧の乏しくなる季節は寝て暮らすことにしたのでしょうが、もうひとつ、森林の保護という大きな意図がそこにはあったのではないでしょうか。

もしもヒトが同じような選択をしていたら、環境はおおきく変わっていたにちがいありません。もしもヒトが冬眠する動物だったら、と想像をめぐらせるのは楽しいことで、わたしたちの生活がそれによってどう変化するか。まず正月が春になって、みんなあくび混じりで、あけましておめでとう。数ヶ月の眠りで毒気がぬけて、肥満も解消。みんなやつれてはいるけれど、面もちはさわやかです。それから、秋に保存しておいた米で餅つきとなるのですが、そこではっとなりました。はたして、そんなものが残っているだろうか、と・・・。

北半球と南半球では、季節が逆転しますからね。ヒトというのは業の深い生きものですから、片方が冬眠に入っている間に、大がかりな略奪がないともかぎらない。もしかしたら正月のあいさつもそこそこに、男たちは船出の準備、なんてことになるのかもしれません。冬眠してもしなくても、人間界は大差なく、環境にも大差はないのかもしれない、ということになったのですが、みなさんのシナリオはどうですか。

でも、今年のクマ騒動で、全国にこんなにたくさんクマがいたのか、と驚いた向きも多いのでは・・・。わたしもそのひとり。まだこんなにクマのような大型動物が生息できる場所があったんだ、という驚きと、この国もまだまだ捨てたもんじゃない、という感動にも似たものがありましたよね。

今年の台風は多くの被害と、野生動物の食糧を奪い去りましたが、同時にこの国の豊かさをもあぶり出してくれたのでした。この国が世界でも有数のクマ大国だったなんて、誇りと同時に、なにか熱いもので胸がいっぱいになりそうなのはわたしだけ?せめてこの誇りと感動ぐらいは、なんとしても守りたいものだと思いました。