ヒトを食ったサカナの話

2005年3月第4週

お彼岸過ぎだというのに、また冬がぶりかえし、一部では春の雪が降りました。今週あたり、本格的な春になってほしいものですね。

庭先では、スイセンの蕾が立ちあがり、チューリップやクロッカスの芽も大きくふくらみはじめました。ひと足はやく、ムスカリとスミレが花盛り。朝日が霜や雪を解かすより早く、白いものを押しのけて青紫に咲き乱れます。樹上では、サンシュユとコブシが満開に・・・。

庭先がにぎやかになってくると、こちらの気分もだんだんハイになってきます。それにつれて畑仕事も忙しくなってきそうです。早いところでは、もう田圃に耕耘機が入り、苗床の準備もはじまりました。農家にとっては、今が正月みたいなもの。これからが勝負です。

九州沖の地震、福岡市内にお住まいのKさんのお宅が無事だったと聞いて、ひと安心。東区といったら、被害の大きかったところですが、茶碗のひとつも壊れなかったそうです。神戸のときも、新潟でも、会員の方はみなさん無事で、家財も被害に遭っていませんから、益子GEFの野菜セットは魔よけセット、などと冗談が出たぐらい。ちなみにわたしの両親は、ふとどきにも野菜セットをとってなかったので、家屋が半壊。神戸からわが家にやって来てもう10年になりますが、同じ東灘区でも会員の方は大丈夫だったんです。

いつ、どこで災害が起きるかわからない。そんなご時世、益子GEFの野菜セットで健康維持と安全確保、なあんてこんなところで宣伝しててもしょうがないんですけどね。

冗談はさておき、インドネシア沖地震では意外なところに後遺症が出ているようです。タイやインドネシアでサカナが売れなくなったというのです。漁師はお手上げ。危機的状況に陥っているそうです。

なぜ、サカナが売れないか。それは多くの人が津波にさらわれたから。つまりサカナがヒトの肉を食っている可能性があるからです。家族や知人を失った人なら、なおさらそんなものは口にできない。なるほど、そうかと思いましたが、なにかひっかかるものがありました。

半月ちかくもひっかかっていて、ようやく出た結論。それは,ヒトはなんでも食べるくせに、ヒトだけがなにものにも食べられてはいけないというのは、やっぱり変じゃない?それは不平等だし、ヒトだけが生命の循環から外されてしまっていいのか、ということでした。だから自然も怒るんじゃないだろうか。

だいいち、人肉を食ったサカナはイヤだといっても、半年後もみんながサカナを拒否しているかというと、そんなことはないと思うんですね。ほとぼりが冷めれば食べ出すに決まってる。隣人がいつサカナを食べ出すか。だれかが口にしはじめたら、われもわれもとみんなが手を出すのです。人の噂も七十五日。それを過ぎたら、なにごともなかったことになってしまう・・・。

人肉を食ったサカナの話を聞いて、真っ先に思い出したのが映画だったか、小説だったか、前世紀初頭の中国の話。戦争が起こると川蟹がうまくなる、という登場人物のセリフです。つまり上海蟹のこと。グロだけど、こちらのほうが健全な気がしたんですね。もっとも、現代の上海人がなんていうかはわかりませんけど・・・。

こんな想像もしてみました。わたしの家族、たとえば子供のひとりが海で命を落としたとします。その海でとれたサカナをわたしは食うか。わが子の肉を食ったかもしれないサカナを、わが子を失った悲しみと喪失感を癒すため、たぶんわが子だと思って食べるんじゃないか。そうすることによって、死んだ子供が普遍的な存在になるからです。目の前から子供の姿は消えたけれど、子供は海の中にいるし、その水が蒸発してできる雲の中にもいる。そして、わたしの体内を通過することによって、大地にも偏在することになるのですから、感動しながら涙を流して食べると思います。

それは生きてゆく力にもなります。ただのサカナを食べた以上の活力が湧いてくることまちがいなし。このことをタイやインドネシアの被災者たちに伝えてあげたい、と思いました。サカナになった肉親しか、かれらの心をほんとうに癒してくれるものはないということ。そしてわたしたちはどのような生活を送っていても、あくまでも自然の一部分なんだから、けっして消滅することはないということです。

もうひとつ、思い出したのが藤原新也の写真集「メメント・モリ」の中にあった、犬が死体に群がっている風景。やせこけた野良犬が横死人の脚にかじりついている一枚には、たしか「人間は犬に食われるほど自由である」とコメントされていたはずです。何十年も前のことですが、この「自由」の強烈さが感動的でした。

人間はサカナに食われるほど自由でもあったわけで、もしわたしたちが野良犬にもカラスにもサカナにもそっぽを向かれるようになったら、もうおしまい。人類は地上にいられなくなるのかもしれませんね。

今週の野菜とレシピ

ようやく田ゼリが入りました。田圃の土手に自生するので、クレソンのような水ゼリと区別するため、岡ゼリ、または田ゼリと呼ばれています。これを採集して汚れを落とし、ゴミを取り除くのはけっこうたいへんな作業です。だからかけらも無駄にしないでくださいね。

これは根っこも地上部の葉もいっしょにいただきます。かき揚げにするのがいちばんですが、根っこと地上部の中間部がかたいので、包丁を入れるか取り除くかすると口あたりがよくなります。かき揚げをからっと仕上げるコツは、衣をつけすぎないこと。全体がようやくまとまるぐらいで、高温の油に入れてください。

紅芯菜はあぶら菜の仲間です。湯がくとお湯が赤紫に染まり、茎が濃緑色に変化します。きれいなお湯は捨てるのがもったいないぐらい。2~3センチに切って、胡麻よごしや芥子醤油和えでお召しあがりください。マヨネーズとも相性がいいですよ。

あぶら菜のほうは、炒めものにしてみましょうか。名前どおり、油とはとても相性がいいのです。豚肉、もしくは油揚げといっしょに炒め、塩、胡椒、オイスターソース少々で調味。ほのかな苦みが食欲をそそります。

新玉葱、それも初物といったら、やっぱりスライスして鰹節と酢醤油というのが定番でしょう。さっぱりと春先の眠さ、だるさを解消してくれそう。スライスオニオンとサニーレタスに鰹節をのせ、醤油入りドレッシングで食べても美味。そこにラデイッシュの輪切りも加わると、彩りがきれいになります。

鮭や白身魚にさっと塩、胡椒して、しめじや玉葱、バターといっしょにアルミホイルでくるみ、オーブンで焼く。これ、とっても簡単ですから、おかずに困ったときや時間のないとき、おすすめです。