夏の雑草

2005年7月第1週

ようやく梅雨空がもどってきました。じめじめ、むしむし、べとべとと、うっとうしいかぎりですが、それが妙にうれしいのは、ここ数年、空梅雨が続いていたからでしょうか。梅雨に雨が降るというあたりまえのことが、ありがたい幸運みたいになってしまいました。

東北地方の大洪水と、南西地方の乾燥と水不足。それを考えたら、ほんとうに幸運以外のなにものでもないのかもしれませんが、そんな中にも不安要素はひそんでいます。千葉県では、本格的な夏を目前に、もう赤とんぼが群をなして飛びはじめたとか。そういえばわが家の裏庭にある青ジソも、まだ十分に背丈を伸ばす前から、種をつけているのがいくつもあります。

その昔、二宮尊徳は初ものの茄子を口にして、それが秋茄子の味になっていることを看破。急遽、農家を呼び集め、雑穀や蕎麦などの代換作物を作らせたといいます。正確な年代は忘れましたが、江戸時代に何度か見舞われた大飢饉のひとつ。しかし、栃木県一体は尊徳の英断により、ひとりの餓死者も出さなかったそうです。彼の名を残した二宮は真岡の隣町。今もなお、農家の間ではその業績が語り継がれ、彼の手になる用水路が活用されています。

もしも今、ここに彼がいたら、はたしてなんというか。好子さんの茄子を献上したいところですが、春先のタケノコも不作でしたからねえ。この梅雨空の後、どういう夏が来るのか、ちょっと心配です。

梅雨らしい梅雨のおかげで作物は元気になりましたが、雑草たちも先を争うように発芽して、ひと雨ごとに背丈を伸ばします。その勢いたるや、あっという間に作物が覆い隠されてしまうほど。これからは畑仕事の大半が除草に費やされるようになります。

それはまるで追いかけっこ。ちょっとでも気を抜くと、すぐに追い越されてしまいます。それは除草という作業が、いくら効率をよくしても「線」なのに対して、草は「面」で対抗してくるから・・・。今はまだ均衡が保たれていますが、山羊の柵の中の草も、そのうちに食べるほうが追いつかず、歩きまわるスペースもないほどになってしまいます。わたしが刈ってやるんですけどね、毎年、柵の中の草刈りだけは、なにか腑に落ちないものを感じながらやっています。

抜いても抜いても出てくる草は、たしかに疲れる存在ですが、抜いても抜いても出てくる草だからこそ、なんの気兼ねもなく除草できるわけでして・・・。

考えようによっては、余分な肥料の掃除屋でもあるわけです。それが証拠に、茄子やきゅうりを作った跡地と、キャベツの跡地とでは、別種の草が育ちます。その色分けは見事なもので、人が種を蒔いても、そこまできれいには生え揃うことはない、と思われるほど。手遅れになると、なにも知らない友人が来て、わあ、きれい。今年はお花畑にしたのね、などといわれることになります。

農薬を使った畑では、草が生い茂っても、わあ、きれい、とはなかなかなりません。地中の毒素を抜かなくてはなりませんから、背丈のある頑丈な草が生えてくるからです。もっとも、そういうところでは除草剤も使うでしょうから、そこまで大きくなることはないのかもしれませんが・・・。でも、地中の毒抜きもまた雑草の役割のひとつなので、除草剤を撒けば撒くほど、草はしぶとく生えてくるんですけどね。

草は身を挺して、土を浄化するものでもあったのです。それに感謝しながら草を抜く。汗と土にまみれながらでは、なかなかできることではありませんが、せめて抜き終わった草の山に、ご苦労さん、ぐらいはいってやりたいもの。この夏はそれを目標に、ひとつ頑張ってみるとしますか。

今週の野菜とレシピ

福田さんのトマトがお目見え。これが出てくると、夏色が濃くなりますね。さらに夏本番になると、オクラニガウリモロヘイアといった亜熱帯色も加わって、近頃の常軌を逸した暑さから身体を守ります。

その前に、夏の訪れを香りで迎えるのが新ごぼう。きんぴらやかき揚げのさわやかな香りが、高温多湿に疲れた身体を癒します。にんじん、ゴボウ、茄子、ピーマンなどを素揚げして、輪切りにしたトウガラシといっしょに麺つゆに浸けると、ご飯かよく進みます。残りのつゆを、生野菜をたっぷりのせた素麺にかけてもおいしいですよ。

おかひじきは山形の寺島さんから。しゃりしゃりした食感が身上で、加熱しても損なわれることがありません。さっと湯がいて、醤油とマヨネーズで和えても、肉類といっしょに炒めても・・・。

好子さんの小松菜はこれが最終便。来週からはいよいよ、夏野菜一色になりそうです。