暖冬と寒い世情

2007年1月第4週

今週の野菜セット

左上から時計回り

今朝、起き出して窓を開けてみたら、あたりにたなびく春霞。真冬の霧とちがって、淡く白濁しているのが特徴です。向こうの山がぼんやり霞み、その合間からうららかな日差しまで・・・。これが三月なら喜ばしいことですが、まだ二月にもならないのです。ただもう驚くばかりで、この一年が思いやられる気分でした。

猫が布団に入ってこないのも当然で、べつにわたしが嫌われていたわけではないのですね。かれらの毛が抜け出すのも、例年より早くなりそうです。

猫の抜け毛は、家の中の掃除が大変になるのですが、猫自体の外観はそれほど変わりません。でも、ウサギのモモは漆黒の冬毛が抜けると、赤茶けたみすぼらしい姿になってしまいます。それに冬は日中でも活動的で、いつでもお目にかかれるのですが、夏になると夕刻にならないと巣穴から出てきませんしね。

玄関前の葉ボタンがきれいに食べつくされて、植木鉢から芯だけが飛び出している状態。知らない人は首をかしげるのですが、知ってる人は、ウサギって葉ボタンも食べるんだ。じつはわたしもそんなこととは露知らず、年内はずいぶん悩んだものですが、葉ボタンがなくなって、ようやくマジメにタンポポやクローバを食べてくれるかな、と思っていたら、もうクロッカスが芽を出してしまいました。

クロッカスが出てくると、ムスカリ、チューリップと続いて発芽。庭先が春の様相を呈しはじめます。そのどれもがモモの大好物。球根の芽というのは栄養価が高いんでしょうね。しかし、小さなウサギがどんなに食べても、みんなそれなりに花を咲かせるようになりますから、葉ボタンほどの被害は出ないと思います。

ただ、春になるとトンビがしきりに上空を舞うようになり、キツネやタヌキも活動的になりますから、モモは気が抜けません。今朝も出がけにトンビの声を耳にしたぐらいですから、暦よりも春が早いのはまちがいなさそう。寒のもどりに期待したいところですが、冬将軍、なにか作戦でもあるんでしょうか。

冬の到来を目前にして犬の毛は抜けはじめるし、カマキリは地面すれすれのところに卵を産むし、暖冬の兆しはそこここで見られたのですが、こうもうららかな日が続くと身も心もゆるんで、頭がボケてしまいそう。気温のわりに、世情のほうはひたすら寒いというのもいけません。

親殺しに子殺しにバラバラにされた死体。人間の体をバラバラにするなんて、たいへんな労力をともなうものでしょうから、そんな元気があったらたいていのことに耐えられるはず、と思うのは他人事だからでしょうか。わたしの印象に強く残っているのは、アメリカ南部であった殺人事件で、夫が妻を口論の末、殺してしまうのですが、奥さんがかなり太っていたらしく、死体を運び出すにはバラバラにするしかない、と思ったそうです。でも、今すぐにはそんな気になれない。明日やろう、というわけでビールを飲んで寝てしまったのですが、翌朝、奥さんの死体を見た彼はびっくり。ひと晩のうちにウジがわいて、死体の上を這いずりまわっていたからです。たぶん、夏だったんでしょうね。

それを見た彼はあっさり警察に電話。あのウジ虫の山と格闘するぐらいなら、刑務所のほうがいい、と思ったそうです。わたしのような怠け者には、この男性の心情が痛いほどよくわかる。家族を殺し、黙々とそれを処理するという行動力には、ある意味、頭が下がるのですが、それだけのエネルギーをなぜ自分の生活のほうに向けられなかったか、どうしても疑問が残りますよね。

頻発する親殺しと子殺し。どちらもわたしの脳裏をかすめたことがないといえばウソになります。とくに親殺しなどというのは、子供の成長過程で起こるべくして起こる通過儀礼のようなもので、わたしは夢の中でそれをやりました。ちょうどそのころ、金属バットでほんとうに親を殺してしまった少年が現れ、わたしは彼を他人とは思えなかったのですね。

顔をそむけたくなるような事件というのは、どれもこれもわたしたちの心の暗部。わたしたちが社会生活を送る上で抑圧し、鍵をかけてしまいこんでいるものを露呈させてしまうのですから、どうしても嫌悪感が先に立ちます。でもね、そういうものを象徴的な世界で発散できず、実行に移してしまうという生活基盤の貧しさに、つい同情的になることはありませんか?

この生活環境に関しては人間も植物もおなじで、おそらく有機野菜たちは土壌の貧しさゆえ、成長過程で蓄積された毒性を解消しきれない化学肥料育ちの野菜たちを、嫌悪したり同情したりしているにちがいありません。うちの野菜は、たぶん同情派。でなければ、こんなやさしい味にはなりませんものね。そんな野菜を食べているわたしたちも、罪を憎んで人を憎まず。そういう気持ちでいたいものです。

今週の野菜とレシピ

今週は大根が入りますが、葉は落としてあります。あたたかくなってきたとはいえ、連日の霜にあたって大部分が枯れてしまっているからです。例年ならこの時期になると、葉っぱはもちろん、地表部に近いところでは大根そのものが凍結と解凍を繰り返したあげく、使いものにならなくなってしまうのですが、今年はやっぱりあたたかいのですね。

露地の大根はこれが最後。この後は福田さんのハウスから、青々とした葉をつけた大根が出てきます。

霜は土中の水分を凍らせ、持ち上げてしまうため、植物の根を傷めることがあります。そのため小さな草花は地面に張りつくようにして、自分の根を保護。根が持ち上げられないよう、みずからを防寒具がわりにしているのです。

野菜も同様。葉っぱをいっぱいに広げ、心臓部を守っていますが、この霜のおかげでわたしたちは甘く、やわらかくなった野菜を食べることができます。小松菜もほうれん草も、そんなわけで葉先が枯れていたりするのですが、これはおいしさの代償みたいなものなので、その部分だけ、ご苦労さまでした、といって取り除いてやってください。

来週は冬のお楽しみ。ひなびた味の芋茎が入ります。