百花繚乱ときどき腰痛

2007年5月第3週

今週の野菜セット

左上から時計回り

すがすがしい晴天が続いています。一年中でいちばん紫外線が強い時期、というのがわかっていても、戸外にいる時間がついつい長くなってしまいます。

四月の雨は五月の花を咲かせる、という言葉がありますが、雨の多かった四月を経て、今まさに百花繚乱のとき。用がなくても、ついふらふらと庭に出てごろごろするのは猫だけではありません。初夏の陽気を得て、庭先が華やかになってくると、蜂のうなり、小鳥のさえずりもにぎやかになってきますから、じっとしていられなくなるんでしょうね。

庭のみならず、畑の中にまで侵入したカモミールやポピーが背丈を伸ばし、次々と開花しています。夏野菜の苗を覆いつくさんばかりの勢いに、ちょっと閉口気味ですが、せっかく咲いているのを引き抜いてしまうのも酷なように思われて、花が終わるのを待っているのですが、こんな畑になってしまったのも、もとはといえば自分のせい。家庭菜園というより、なんでもありの植物園みたいな景観を望んでいたからですが、年々花の占める割合が大きくなって、肝心の野菜のほうが肩身の狭い思いをするようになりました。

なにごともバランスが大事、というわけで極力花を減らすようにはしているのですが、これぐらいは残してもいいかな、と思うような小さなものも、この時期には巨大になって手のつけようがなく、かたづける段になって後悔することになるんですね。そういう手間を考えなければ、夢に見た花園はたしかに現実のものとなって、燦然と輝きながら、ウサギや猫といった小動物の格好の遊び場になっています。

そんな楽園のような風景の中でひとり、腱鞘炎の痛みに耐えながら、汗にまみれている自分がちょっと滑稽でもあるのですが、そんなとき、いつも思い出すのがモネ夫人の「わたしのために庭があるのか、庭のためにわたしがいるのか」という嘆息・・・。睡蓮で有名な画家の夫人は、あの広大な庭の手入れに人生の大半を費やすという、贅沢にして過酷。至福と腰痛とが同居する楽園生活に、ときに疲労困憊し、嫌気がさすこともあったようです。

あんな見事な庭園と、うちの畑とではいっしょにはなりませんが、ひとり当たりの労働量としてはつり合いが取れているはず。人にとっても動植物にとっても居心地のいいところというのは、見えないところに多大な力を必要とするのは当然としても、そこに関与する者は純然たる鑑賞者にはなれないという不幸があるんですね。常に風景のあら探しをしながら、そこに手を加えていなければならないからです。その一方で、まったく人手を介さない花園というのもあって、南アフリカやペルーの乾燥地帯に年に一度か数年に一度、洋上に発生した霧が内陸に達したときにのみ出現するというものです。写真でしか見たことがありませんが、地平のかなたまで見渡すかぎりの花畑。それを見た友人が感動のあまり、イングリッシュガーデンなんかクソ食らえだよね、と洩らすぐらい圧巻なのでした。

ある日突然、砂漠地帯に出現し、数日で消えてしまう花園ですが、神々の楽園という呼称にふさわしいスケールの大きさ、うつくしさで、人の手になる楽園など文字通り「クソ食らえ」なのでした。この光景に魅せられた写真家のひとりが益子GEFの会員でしたが、家族で南アフリカに移住。はじめは短期間の予定でしたが、とうとう帰ってこなくなってしまったぐらいです。

そこまでスケールは大きくありませんが、わたしたちの身の回りでもこういう花園が出現することがあります。それは収穫の終わった畑をそのまま、春までなにもしないで放置しておいた場合。面白いのはあたかも意図したかのように、それまで作っていた作物によって花の種類が変わることです。青菜を作っていたところは一面、オオイヌノフグリの青い花になり、大根やカブを作ったあとはホトケノザに似た紫色の花が咲き乱れます。

数年前、冬の間畑を放ったらかしにしたことがあって、春先、自分でもびっくりするぐらいきれいな花畑が出現。たまたま遊びに来ていた友人が、今年はがんばったのねえ、と的はずれな褒めかたをするぐらい、青と薄紫の絨毯が混じり合うこともなく、くっきり分かれていたのでした。

おなじ肥料を使っていても、作物によって吸収するものがちがうため、残った栄養分のために発芽する雑草もまた、このように二分されて当然なのですが、ここまできれいに色分けされるとは思いませんでした。ひとつの作物が終わると、また次の作物のために耕耘機を入れる農家の畑では、けっして見ることのできない光景で、生態系の妙につくづく感心したものです。

もっとも耕耘機を持たないわたしにとって、花畑の後始末はたいへんでしたけど・・・。要するに、人の力なんてたかが知れている、ということなのかもしれませんね。

今週の野菜とレシピ

今週は青山さんのフキが入ります。フキは湯がいてから使いますが、まず葉っぱを落とし、傷のあるものは捨ててください。茎のほうは鍋底に合わせてカーブさせ、全体がかぶるぐらい水を入れて湯がきますが、湯がきあがったフキは冷水に取り、残った湯に葉っぱを入れて、これは煮立てず余熱でアクと汚れを落とします。

湯がいた茎は皮をむいてから煮含めに・・・。フキは煮干しと相性がいいので、頭とワタを除いた煮干しで水から煮ると手間がかかりません。砂糖と酒、醤油で調味してください。

葉っぱのほうは湯から上げたら、水気を絞り、細かく包丁を入れて佃煮にします。同量の酒と醤油で煮るだけですが、葉から水分が出るので水を加える必要はありません。汁気がなくなるまで煮たら、削り節をたっぷりからませて完成です。

幸子さんのきゅうりが入りますが、出はじめなので3本ずつ。それでも足りないときには、代品が入ることも考えられます。代品にはグリーンピースが入りますが、豆ご飯にする場合、ひと袋分に対して米は2合弱。塩を入れすぎないように注意してくださいね。

オカヒジキはさっと湯がいて、マヨネーズや芥子醤油で和えると、食感がさわやかです。肉類といっしょに炒めてもおいしく、塩とオイスターソースで濃いめに味をつけ、もどした春雨を最後に加えてからめるとエスニック風。一味とうがらし、ナンプラーを少量たらしてください。

天候しだいですが、このまま晴天が続けば来週あたり、好子さんのソラマメが出てくるかもしれません。今年はどこでもソラマメが不調だそうで、うちの畑でも生育がわるいのですが、好子さんなら気合いでなんとかしてくれそう。

なんとかなるといいですね。