搾取される食べもの

2007年4月第1週

今週の野菜セット

左上から時計回り

このあたりの桜も満開。ほとんど同時に桃、りんご、梨といった果実の花も開花します。益子を果物の産地にしようとする動きがあるらしく、それまで無縁だった花をあちこちで見かけるようになりました。

果樹が増えるのはいいのですが、早朝に農薬散布がされているらしく、犬の散歩で通りかかると異臭が鼻をつき、息苦しくなってきます。犬はくしゃみを連発。その犬を引っ張るようにして駆け抜けるのですが、息苦しさというか、毒物を吸引してしまった肺の重苦しさはなかなか消えてくれません。

果樹園といっても、鳥を寄せつけないために金網で囲みこまれたそれは、まるで牢獄でも見るようで、情緒のかけらもないものです。こんなものが増えたら景観が台無しになりますし、枝や幹を針金で誘引され、がんじがらめになった樹木を見るのも気が滅入ります。それでも枝いっぱいに花を咲かせ、精いっぱい生きようとしているんですね。

わが家でも桜と桃が花をつけ、ピンクの濃淡がきれいですが、小粒のサクランボは鳥の餌。桃もたくさん実をつけますが、人の口に入るのは三分の一程度。カラスをはじめ野鳥がこれを楽しみにしているからですが、かれらとて、いたずらに食い散らかしているわけではありません。実がなる前には、桃の木についた虫を食べていますし、桃の種を遠くへ運ぶ役割も果たしています。

だから放っておいても、桃は毎年たわわに実をつける。そういう循環が金網などでストップされるから、大量の薬剤が必要になり、果樹もまた生ける屍と化してしまうのです。これは果樹ばかりでなく、すべての生きものにとって不幸なことで、果実を口にするわたしたちにもその不幸が降りかかります。

すこし前、女性を「子供を産む機械」といったオヤジがマスコミに叩かれましたが、そのとき、怒りに身を震わせたの女性も含め、人類全体が動植物を「食べものを産む機械」としか認識していないフシがあります。鶏は卵を産む機械。牛は肉とミルクを産む機械といった風にです。

子供を産む機械であるわたしたちに知能や感情があるように、動植物にも喜怒哀楽があり、好奇心旺盛で学習能力もあり、基本的に自由を必要としているということが忘れ去られているようです。故意に意識から外されているのかもしれませんが、衣食住すべての面で、かれらのお世話にならなければ生きられない。罪悪感にさいなまれるのがイヤだから考えない、というのではなく、おなじ食べるにしても思いやり。それに感謝が伴わなければ、食べものは本来の姿を見失いかねません。生産者も消費者もそれを忘れ、「機械」を効率よく動かすことばかり考えているから、病害虫が増えてくる。BSEなどその典型で、消費者は安い肉を求める。生産者は安くてうまい肉を大量に作りたい。そのためには人件費も経費も節減しなければなりませんから、農場は機械化され、飼料には不自然なものが混入する。その結果、出てきたのがあの病気で、あれは牛の自爆テロだったのではないでしょうか。

自爆テロというのはけっして宗教的なものではなく、自分の現状ばかりか将来にも希望を持てなくなったものが、意思表示の最終手段として行うものです。鳥インフルエンザなどというのも、企業養鶏に疲弊した鶏たちがみずからを爆弾と化すため、渡り鳥から火薬を受け取っているのではないでしょうか。

鶏も牛もバカではありませんから、自分たちがいずれ殺されることを知っています。それでも人を許し、人の栄養となることを引き受けていたものたちが、それを許さなくなった。人の口に入ることを拒否。敵意さえ抱いてしまった結果、ああいった病気が発生しているような気がしてならないのですが、どうでしょう。

除草剤で草一本生えていない農場で、化学肥料を与えられ、薬漬けになりながら生育している野菜も同様。それが人体に悪影響を及ぼすのは、残留農薬もさることながら、生きものとしての尊厳を奪われた野菜の怨念や絶望感が、マイナスエネルギーとなって渦巻いているのではないかと思われます。

田舎のおじいさんやおばあさんの中には、農薬が野菜の栄養になると信じきっている人がいて、マスクもしないでそれを散布。たまにできた野菜をいただくことがあるのですが、困ったなあ、と思いつつ、もったいないので食べてみると妙においしかったりするのです。作り手がマイナス意識を持たず、たとえ毒薬でも愛情こめて散布すると、こんなにやさしい味になるのか、って目からウロコ。これには驚かされました。

かれらは化学肥料のことも、未だに近代化肥料と呼んでいますしね。有機肥料全盛のころ、化学肥料で作った野菜を「清浄野菜」と呼び、ありがたがっていた時代に現役だった人たちです。人の意識の力って、かくも大きかったのかって、そのとき実感。意識の持ちかたしだいで、わたしたちは食べものを毒にも薬にもできたのです。

だからわたしたち、食べる側の意識から感謝の念が薄れてゆくと、その分だけ食べものがまずくなる。のみならず毒性まで生じるようになる。食事の前に合掌して「いただきます」をいわない家庭が多くなっているそうですが、みんな命をいただいているのです。このうつくしい習慣は、与えられた命に感謝することによって、目の前の食べものを変質させるという先人の知恵なのでした。

たとえジャンクなものを口にすることがあっても、いや、そういうことこそとくに念入りに合掌して感謝。そうすることで無毒化し、自分の身体に合うものに変質させるのです。もちろん、食後の「ごちそうさま」も忘れないでくださいね。

今週の野菜とレシピ

ひさびさのルッコラは生食向き。サラダにして胡麻の香りをお楽しみください。あさつきは細かくきざんで、汁ものやチャーハンの薬味にしますが、てんぷらにしても美味。ほどよい辛みが一転して甘みになります。

里芋はこの時期、田楽用に使われます。湯がいて皮をむいたものに、木の芽味噌や柚子味噌をのせていただきますが、オリーブ油でニンニクをじっくり炒め、そこに上記のあさつきをたっぷり加えて塩、胡椒で調味。それを湯がいた里芋にからませるという手もあります。田楽よりさっぱりした味わいになりますよ。

新玉葱はスライスして鰹節と醤油で・・・。ちょっと汗ばむような日など、これを食べると身体のだるさが吹き飛びます。

天候しだいですが、うまく行けば来週あたり、好子さんのキャベツが出てきそうです。