見捨てられる地方と人

2007年9月第4週

今週の野菜セット

左上から時計回り

どこかへ行きかけていた夏が、まるで忘れでもしたかのようにもどってきて、そのまま居座ってしまいました。鳴りをひそめていた蝉も復活し、秋雨前線はどこへやら・・・。

でも、暑さ寒さも彼岸まで、っていいますからね。そろそろ涼しくなってくれるのではないでしょうか。蝉に負けじと秋の虫もがんばっていて、トンボも群舞しはじめました。思わぬ暑さに疲れるのか、畑仕事をしていると、人の腕や背中にトンボがとまって休みます。トンボは人を恐れない。人もまた、少々邪魔になってもトンボを追い払ったりしないのは、かれらが秋の使者だとわかっているからでしょうね。

岩手県安比高原から今朝、帰ってきた青山さんの話です。キノコ採りに行ったのですが、ぶりかえした暑さのせいでキノコは不発。おまけに台風11号のもたらした大雨が道路を寸断。田圃が丸々土砂に埋まってしまったところもあったそうです。

が、そういうことはニュースにならない。都会ではちょっと床下浸水したぐらいで大騒ぎしているのに、東北地方で国道が通行できなくなっても、中央は知らん顔。東北は見捨てられている、というのが現地の反応だそうで、東北にかぎらず、地方というのはそんなもんじゃないか、というのが稲刈りに帰ってきた男の第一声でした。

わたしもそれを聞くまで、そんなことなど知らなかった。知らなかった、ですまされている現実が山ほどあるんだろうな、とあらためて実感しました。国内で起こっていることがこれですから、ましてや海外のこととなれば・・・。情報化時代といったところで、情報が偏っていたのではなんの意味もない。むしろ、豊富な情報に囲まれて、なんでも知っているような錯覚に陥るほうが危険なのかもしれません。

でも、よく考えてみたら、見捨てられているのは地方にかぎったことではありません。たとえば新宿・歌舞伎町では若い女性の投身自殺が多いのですが、ビルから飛び降りた女性が通行人でも直撃しないかぎり、ニュースにはなりません。また、わたしは年に数回しか上京しませんが、しょっちゅう人身事故とやらで電車が遅れる。これもほとんどが飛び込み自殺なのですが、それが小学生でもないかぎり、これもまた日常茶飯事扱いなのか、ニュースにはならない。

そのくせ、エスカレーターに足を巻き込まれた、回転ドアにはさまれた、などというのは大きく報道されていますから、奇妙な話です。ホームレスが高校生に殺されるとニュースになるけど、行政に居場所を追われたかれらが凍死しても、みんな知らん顔。報道が為政者に媚びるのはもってのほかですが、視聴者に媚びるのだって同罪ではないでしょうか。

犯罪を犯す極悪人と、その他大勢の無辜の市民という図式があって、残忍な事件が起こると市民は被害者。自殺するのは敗残者で、ホームレスは無用の代物。子供のいじめを話題にしながら、それが大人の世界を反映しているから、とはけっしていわない識者たち。子供は社会の鏡なんですけどね。

わたしは相撲にはさほど興味もなく、朝青龍のファンでもなんでもありませんが、先月いっぱいのマスコミの騒ぎようを見ていると、いじめの根源はやっぱりマスコミにあったんだ、と確信するほど。数年前、イラクにボランテイアに入った若者たちが誘拐されたとき、薄汚れた政治家だけならともかく、マスコミまで「自己責任」を口にしはじめた。あのときは背筋が寒くなったものですが、あれとおなじような人権侵害が繰り返されているのです。

市民のひとりが海外で活動するのは自己責任になるけれど、エスカレーターに足をはさまされるのは自己責任ではなく、メーカー側の責任になる。ということは小事に関するかぎり、わたしたちの人権は保障されるけど、生命に関わる大事になると、いとも簡単に無視される。そういう図式が見えてきませんか?

不思議な国は、だんだん怖い国になってゆくようです。

今週の野菜とレシピ

今週はごぼうが入る予定でしたが、青山さんが稲刈りにいそがしく、とてもごぼうを掘っている時間がないので、来週に持ち越されました。新米を心待ちにしている方も、来週にはお送りできると思います。

ごぼうに代わって里芋が入りました。中秋の名月といえば里芋ですが、煮っころがしにユズの皮を散らすと絶品。味も香りも激変しますから、ぜひお試しください。

山東菜に続いて、小松菜も出てきました。山東菜はさっと湯がいて、油揚げといっしょに芥子醤油和え。小松菜はお吸い物にして、暑さに疲れた身体を癒してくださいね。

ぼっちゃんカボチャは日持ちがします。あわてて食べなくても、そのへんに転がしておけば冬至のころまで持ちますから、なにかもう一品、というときにお役立てください。