環境保全林を造ろう

2008年1月第3週

今週の野菜セット

左上から時計回り

ようやく本格的な寒さになりました。

ついこの間まで、ところどころ霜柱が立っていたのが、寒さが厳しくなってくると地面全体が凍りつき、表層部が持ち上げられたようになります。朝、その上をバリバリと音を立てながら犬と歩く。ああ、冬の音になってきたな、と身がひきしまります。

そういう朝は、外気にふれただけで顔が痛く、ちょっとでも風が吹くと耳がちぎれそうになるぐらい。わたしが子供のころは、関西でもこれぐらい寒かったのではないでしょうか。学校へ行っても、一時限目は手がかじかんで、ちゃんと字が書けなかった記憶があります。

そんなふるさと・神戸が震災に見舞われて、早くも十三年が経ちました。心の傷はともかくとして、街の外観はすっかり復興したように見えます。わたしも去年、父の遺骨を納めるために当地を訪れて、地震の痕跡がどこにも見あたらないことに、十年の歳月が流れているとはいえ驚いたものです。

が、樹木の専門家にいわせると、復興した市内には地震の教訓がほとんど生かされていないとか。揺りもどしがあれば、元の木阿弥になってしまうというのです。なぜかというと樹木が少なすぎるからで、もちろん街路樹も庭木もあるのですが、それらは本来その土地に根づいていたものでなく、おしゃれではあるけど、いざというとときなんの役にも立ってくれない木々。いわゆる環境保全林ではないというんですね。

神戸市を焼きつくしたかに見える大火も、自然林の前では止まっています。自然林とは、人工のものではあっても、その土地に大昔からあったものもので構成されていて、人の手が入らなくても自然に維持できるものをいいます。潜在自然植生というそうですが、そういう屋敷林があったところは無事だったそうで、こういう深根性・直根性の常緑樹は地震や大火のみならず、風水害からも家屋を守り、人命を救ってくれます。都市にあっては環境保全林。山にあっては水源林として、天然のダムと化します。

広大な林である必要はありません。たった二本のタブノキが千四百軒もの家を焼いた火事を止めたという例もあるぐらいですから、庭木はもちろん、公園や集合住宅の広場などにも、外観は地味でもそういう樹木が植えられるべき。植木屋さんは商売にならないといって怒るかもしれませんけどね。

では、東京都はどうでしょう。関東大震災で四万人もの死者を出した陸軍被服廠は板塀に囲まれていましたが、そこから二キロほど離れたところにある岩崎氏別邸(現在の清澄庭園)に避難した二万人余は全員無事でした。生死の差を分けたのは、庭園のまわりのわずか二~三メートルの幅しかない潜在自然植生の群落です。常緑広葉樹のシイ、カシ、タブ、それにそれを支える低木のモチノキ、シロダモ、アオキ、ヤツデ、ヒサカキなどなど・・・。

もちろん樹木は有機物ですから、長い時間をかければ燃え出します。が、照葉樹は水分を多く含んでいるので、燃えるまでに時間がかかり、その間にいかようにも対策が講じられるのです。震災後、そういう学術的な研究成果が出ていたにもかかわらず、生かされないまま八十五年が経過しているのですから、行政はあてになりません。

十年ほど前、隣家が全焼したことがあるのですが、そのときわが家の壁が熱くなっていたにもかかわらず焼けずにすんだのは、境界にあったカシやヒサカキのおかげでした。それほど大きくはなかったので、すぐに枯れてしまいましたが、また新しい芽が出て育っています。

また子供のころの話になりますが、わたしの家から歩いて二十分ほどのところに保久良山という小さな山があり、そこが春先になると毎年といっていいぐらい火事を出していました。当時はあのあたりにも農家があって、落ち葉をさらいをした農家が焚き火でもするのでしょうか、今ごろから春先にかけて山火事になり、それを見ると不謹慎にも子供たちは大喜びしたものです。

小さな山で、道もそれほど広くありませんから、消防車が入るわけにもゆかず、火の手が広がり、頂上まで登りつめるのを眺めているほかありません。それが子供にとってはエキサイテイングなショー以外のなにものでもなく、大人もけっこう楽しんでいたようです。頂上まで達すると、自然と火が消えるのを知っていたからでしょうね。

頂上には保久良神社があります。カタカムナ文字という有史以前に作られた表音文字が発見されたにもかかわらず、たいして話題にもならず、学会からも無視された形で、地元の人ですらよく知らないという曰くつきの神社ですが、毎年のように火にさらされながら建物が残っているのは、そこがヤマモモの林にかこまれていたからです。

わたしが中学生になるころには、山の木も育ってきたのでしょうか。火事はなくなり、しだいに緑が濃くなっていましたが、当時は頂上に森が残っているだけで、ほとんど禿げ山だったのです。戦時中、軍に薪を供出するため、切られてしまったからだそうですが、これだけ木が育ったら、もう火事が起きても燃え広がることはないでしょう。もちろん震災時にも、その周辺は焼けもせず、揺れによる家屋の損傷も小さくてすんだそうです。

潜在的自然植生は地域によって微妙にちがうようですが、素人には判断できません。しかし、日本には鎮守の森という便利なものがあって、それがタイムカプセルの役割をはたしています。里山や雑木林は人の生活のために作られたもの。自然植生とはいえませんが、近くに古い神社があれば、そこに生えている樹木を見ると、なにを植えるべきかがわかるといいます。

だいたいが常緑の照葉樹ですから、秋、その木の下に落ちているドングリを拾うのがいちばんの近道かもしれませんね。家のまわりに一メートルでも土地があれば、いざというとき自分や家族の身を守る防御壁ができるといいます。行政は頼りにならないようですから、自分の身は自分で守るぐらいの心構えでいなくっちゃね。

今週の野菜とレシピ

しばらくお休みしていた大根が入りますが、まだ小ぶりです。が、やわらかさとみずみずしさでは暮れの大根をしのぎます。サラダにしてみてはどうでしょう。短冊に切った大根を、鰹節とポン酢で食べてみてください。

先週はコスレタスという新種が入りましたが、今週はおなじみの結球タイプが入ります。コスレタスは火を通したほうがおいしくという品種でしたが、ふつうのレタスもスープや炒めものにすると意外なおいしさ。レタスの外葉を味噌汁の青みにしてもおいしいですよ。

山芋はふつう、おろしてとろろご飯にします。わたしはこれが大好きですが、中にはそうでない人もいるようです。そんな人のために、ちょっと変わった楽しみ方を紹介すると、山芋をすりおろすところまではおなじ。ていねいに山芋の皮をむく人がいますが、家で食べるのですから外見にそれほどこだわることはありません。ガスの火にかざしてヒゲ根を焼き、よく洗ってから皮をつけたままおろします。そのほうが手元が安定するし、痒くなることもありません。

皿などを重しにして水切りした豆腐を、おろした山芋に加え、塩少々、さらに小麦粉を加えてよく混ぜあわせます。それをスプーンで油の中に落として揚げるのですが、ひとつ落としてみて、まとまりがわるいようなら小麦粉を追加してください。揚げたてを生姜醤油で食べますが、かなりの量になりますから、残ったものは椀種に取っておいてもいいですね。

ひじきやニンジンなども加えると、見た目もきれいな自家製がんもどきになりますが、市販のがんもどきとはちがうフワフワ感と山芋の甘みが人気です。