コオロギの話

2008年10月第1週

今週の野菜セット

左から

暑さ寒さも彼岸まで、とはよくいったもので、急に涼しくなってきました。朝夕など、涼しいのを通り越して肌寒いぐらいです。

さすがに蝉の羽音も聞かれなくなり、夕刻にもなるとコオロギの集(すだ)く音があちこちから聞こえてきます。車で帰途につくときでさえ、道路の両側からこれが押し寄せてきて、耳の中がワーンとなるぐらい。コオロギというのは逞しい虫で、大きな草むらがなくても、街路樹の根元や中央分離帯の草地などでも繁殖するらしく、商店の建ち並ぶメインストリートでも賑やかな羽音を立てています。

自然界というのは微妙なバランスの上に成り立っているもので、それを数千年にわたって壊し続けてきた人類のひとりとして、こういう逞しい生きものに出会うとほっとした気分になるんですね。しかもきれいな羽音ですから、どんなに大音響になってもうるさいとは思わない。暑い盛りの蝉時雨には、うんざりさせられることがありますが、秋の虫はあくまでもさわやかです。

このコオロギが動物性蛋白質として見直されているといいます。

イナゴは世界中で昔から食用にされていて、聖書にも登場し、バプテスマのヨハネが修行中、イナゴと野蜜を食べていたとありますが、携帯に便利な栄養食品だったんでしょう。救世主がイナゴを食ったという記述はありませんが、イエスも食べていたにちがいありません。でも、コオロギは亜鉛を含有しているので、それよりも理想的な栄養食品なんだそうです。

その昔、妊娠中にイナゴの佃煮を勧められたことがありますが、甘ったるさに閉口し、それならばと自分で作ったことがあります。当時の田舎道には「イナゴ買います」という看板があり、収穫間近の田圃の周囲を、バイクに網をつけて走りまわっている人を見かけたものです。ちょっとした小遣い稼ぎ。それを業者が数日間飼育して、イナゴの体内から糞を出し切ったところで釜茹でにし、乾燥させて売っていました。

それをフライパンでから煎りして、さっと醤油をからめるとなかなか美味で、野趣のあるエビ煎餅という感じになります。子供が小さいうちは、毎年秋になるとこれを作っておやつにしたものです。キャットフードにもなるんじゃないかと思いましたが、猫は食べてくれませんでしたね。

コオロギの話を聞いてそんなことを思い出しましたが、おなじ方法でコオロギも食べられるかも・・・。でも、どうやって捕まえるんだ?そこが思案のしどころですが、そのうち道ばたに「コオロギ買います」なんて看板が出るようになるかもしれず、そうなるころには飽食の時代は終焉しているはずで、そうなってほしいような、ほしくないような、ちょっと複雑な気分です。ともあれ、秋が終わってしまう前に、一度ぐらい挑戦してみたいものですが、どうなりますか。

田舎の秋は多忙です。稲刈りをひかえた農家はもちろん、そんな大事業とは縁のない気楽な身分でも、この時期は栗やカヤの実を拾ったり、イチジクを収穫したりとやることがたくさんあって、なかなかコオロギ捕りまでは手がまわらないというのが現状です。

ま、農家から見たら遊びみたいなものでしょうが、中でもイチジクの収穫はスリルがあって面白く、遊びそのもの。木の実拾いのように孤独な作業ではないのです。なぜかというと、イチジクの木のまわりには黄色スズメバチが群をなしていて、わたしとおなじものを狙っているからで、かれらとの駆け引きがあるからです。それが収穫そのものより面白い。

熟れたイチジクを見つけると、すぐに手を出すのではなく、まず自分がこの木の所有者であることをスズメバチに告げなければなりません。でなければ泥棒と思われて、攻撃されかねませんからね。そのうえで分配を決めます。これはあげるから、こっちのはちょうだいね、という風に収穫してゆくのですが、中にはなかなか譲ってくれないものもいます。そういうときは話し合いになり、たいてい向こうが折れてくれるのですが、この無言の話し合いが一分、二分と続くことがあります。

そうやって対峙していると、スズメバチが逡巡する様子がありありと見て取れて、かれらがいかに表情豊かで思慮深い生きものかがわかります。その時間がたとえ一分でも、ほかのなにをしているときよりも豊かに感じられるのは、一匹のスズメバチを通じて自然界全体と繋がることができる。いや、もっと大げさにいうなら、まるで宇宙と繋がっているかのような気がしてくるからです。

スズメバチのおかげでイチジクがほかの虫から守られ、無傷で収穫できるのですから、当然かれらの取り分も残さねばならないのですが、かれらは過熟気味のものを好むので、たいていはスムーズに事が運びますが、中にはそうやって遊んでくれるものがいるのです。これは虫がわたしたちになにかを教えたがっているからじゃないか。そんな気がしてなりません。

危険、有害と一方的に判断されて、情け容赦なく殺虫剤を撒かれ、巣が撤去されるスズメバチです。恐怖の根源にあるのは無知なのですから、そういうメッセンジャーが出てきても不思議はないのかもしれません。そしてわたしはそれを伝えてゆくのが役目。わたしがこういう通信を出しているのも、かれらにはお見通しだったのかもしれませんね。

今週の野菜とレシピ

ついに里芋が登場しました。雨が多く、稲刈りが思うようにならないので、農家が里芋堀りに集中できないため、今回は500グラムとひかえめになっています。煮っころがしにして、柚子の皮を添えると最高。味噌汁には葱を散らしてください。

芋茎(ずいき)は八頭の茎ですが、これが今、秋のデトックス食品として脚光を浴びているそうです。油揚げ、豚肉と相性がよく、皮をつけたまま3センチ前後に切って炒め、醤油で味をつけます。さっと湯がいてから胡麻酢、または酢味噌で和えるという手もあります。すこし残しておいて、油揚げといっしょに味噌汁に入れてもおいしいですよ。

先週は小松菜、京菜と青菜が揃いましたが、週末、ひさびさに青空が広がったと思ったらバッタの大群が押し寄せ、穴だらけにされてしまいました。まだ暑さが残っている時期に、無理をして種を蒔いたものですから、野菜に体力がなかったようです。次の小松菜が育つまでお待ちください。

そんなわけで、夏のほうれん草・空芯菜が再度出てきました。夏のはじめから登場し、今になっても青々と茎を伸ばし続けているのですから、その生命力に驚かされます。一度空芯菜を作ると2年ぐらい、夏になるとあちこちから顔を出してくるといいますから、その強靱さを召しあがってください。炒めものだけでなく、さっと湯がいて胡麻和えにしてもイケます。

中里さんのセロリ。覆いをかけて軟白させていないので青々としています。茎の部分は斜めにスライス。葉のやわらかいところも適当に包丁を入れておきます。フライパンに油を熱してちりめんじゃこをよく炒め、セロリを加え、一味とうがらしと醤油で調味します。これはご飯にとてもよく合い、セロリは苦手という人でも大丈夫。お弁当のおかずとしても重宝します。

セロリの葉のかたい部分は細かくきざんで、カレーやシチュー、スープ用の香味野菜としてお使いください。