中秋の名月

2008年9月第3週

今週の野菜セット

左から

先週はさわやかな晴天が続きました。空も高く、奥行きが感じられるようになり、さっと刷毛で描いたような薄雲が、まるで書家の手になる大作のよう。

秋の空は見ていて飽きず、つい時間を忘れてしまいますが、それを追い立てるように日暮れがしだいに早くなります。農家の夕飯がそれに合わせて早くなり、今まで七時、へたをすると八時ちかくなっていたのが、六時過ぎになり、逆に朝食はだんだん遅く、睡眠時間が増えてきました。そのうちに夏の疲れがきれいに取れて、身体が冬仕様になるのですから、季節の巡りというのはうまくできているものです。

夜具のぬくもりが心地よくなり、眠りが深くなるのもありがたいですね。涼しくなると集中力も増してくるので、夏の間さぼっていた家事にも精が出てしまうのですが、夜更かしは禁物。この時期にゆっくり休んで体調を整えておかないと、寒くなってから風邪をひきやすくなる、というのが好子さんの持論ですから、わたしたちも見習ったほうがよさそうですね。

中秋の名月は、残念ながら途中から雨になってしまいました。

日曜日は一日中雨、と聞いていたので、今年はなにも準備していなかったのですが、朝から晴天。午後になっても雨の気配はありません。夕刻が近づくにつれ、だんだん不安になってきて、人間の食べものはあっても、お月さまに供えるようなものがない・・・。

とりあえず、萩とススキを摘んできて、ご飯は裏山から拾ってきた栗でおこわを作ることになりました。でも、三方の上に栗おこわだけでは、ちょっと貧相。お月さまに失礼かもしれません。塩茹でにした落花生、それに近所で拾ってきたカヤの実を添えたところで、ぱっとしない感じです。なにかめぼしいものはないか、とあたりを見回していたら、ゴミ捨て場に里芋が生えているではありませんか。

春にカビが生えたか、傷んでいたのか、ごっそり捨てた里芋がいつの間にか芽を出して、それが人の背丈ほどになっていたのです。茎も太くて立派です。さっそく掘り出してみたら、両手にいっぱいぐらいの収穫がありました。日没と競争するようにそれを煮て、お月様のお膳はどうにか恰好がつきましたが、東の山の上に月が出て、それがしだいに高く昇りはじめたころ、雲が出てきて、それが一面に広がったかと思うと雨になりました。

結局、お月さまはお膳の上に来る前にかき消されてしまい、あの苦労はなんだったのか。ぶつくさいいながら夕食となりましたが、里芋はおいしく、ゴミ捨て場から取ってきたとは思えないほどでした。

しかし、里芋堀りがあんなに重労働だとは思わなかった。両手にいっぱいぐらいで性根尽き果ててしまうくらいですから、農家に来週あたり里芋がほしいといったときの微妙な間。返事をする前に一瞬息を呑むような、重たい空気が流れるのはこのせいだったのか、と納得しました。今までみたいに気安く、里芋なんていえなくなるかもしれませんね。

でも、里芋はみんな食べたい。

涼しくなるにつれ、食欲も旺盛になってきますが、これも身体が滋養を求めているからでしょう。この時期に旬のものを食べると、舌がおいしいと感じるだけでなく、身体中にそれが染みわたってゆく感じがしますものね。

問題は、わたしたちの身体が求めているものと、目や舌が求めるものがかならずしも一致しないという点で、メタボリックのメは「目」のことかもしれない、なんて思ったりするのですが・・・。

これだけ多種多様な食料に囲まれ、選択も自在というのは人類はじまって以来の状況ですから、わたしたちが右往左往しているのもだらしがないからではなく、どうしていいかわからないからだと思います。食べなくていいどころか、食べないほうがいいというものまで溢れ、コマーシャリズムがそれをあおり立てている中で、自分の身体に耳を澄まし、求めているところを知るというのは至難の業かもしれません。

でも、世の中がどんなに変わっても、わたしたちの身体というのは原始時代からそれほど変化していないわけで、やっぱり季節の移り変わりとは無縁でいられないし、生きている場の土壌からも切り離せない。へその緒は死ぬまで大地と繋がっているのですからね。

となると、やっぱ野菜を食べていればまちがいがない、ということになりそうです。それも旬のもの。益子GEFでもすこしでも早く、みなさんの身体が求めているものをお届けしたいのですが、土地柄、どうしても秋・冬野菜が遅れてしまいます。申しわけありませんが、事情を酌んでお許しください。

今週の野菜とレシピ

青山さんの新ゴボウが入りました。先月前半の乾燥で生育が遅れていましたが、後半の雨のおかげで収穫にこぎつけることができました。

香りのいい新ゴボウはかき揚げよし、きんぴらよし、煮てもよし。どうやっても美味ですが、ものすごく簡単な即席漬けも作ってみてください。ゴボウを

斜めに薄切りにして醤油をまぶしておくだけ。アク抜きの必要もなく、数分後には食べられます。

ゴボウを調理するとき、ときどきタワシなどで洗う人がいますが、あれは絶対やめてください。ゴボウは皮の部分に栄養分が集中しているので、皮が取れてしまったらゴボウを食べる意味がなくなってしまうのです。やさしく手洗い。どうしても道具を使いたかったら、やわらかい布巾を使って汚れを落とすようにしてください。

もう一点。これはゴボウを二倍楽しむ法です。ゴボウの頭の部分、ここは食べられないので捨ててしまいますが、水を入れた皿などに切り口を下にして並べておくと、十日後あたり、小さなやわらかい葉っぱが出てきます。ニンジンでおなじみの方法ですが、この葉っぱをてんぷらにすると、山菜のような野趣のある味と香り。ご用とお急ぎでなかったら、これも試してくださいね。

さつま芋も入りましたが、堀りたての芋というのは意外に甘みがのっていなかったりするものです。初物はてんぷらがおすすめ。残りは台所の隅にでもころがしておいて、必要に応じてお使いください。男の人にはあまり人気がないのですが、さつま芋と葱の味噌汁などというのもおいしいですよ。

先週ご紹介した生落花生の豆ご飯、いかがでしたか?隔週でお送りしている方のために繰り返すと、落花生はサヤから出して殻つきのまま、細かくきざんだ油揚げといっしょに炊きこみます。水加減は通常通り、味つけは塩と醤油少々で・・・。

おなじくサヤから出した落花生をたっぷりの油で炒め、砂糖と味噌をからめるという方法もあります。塩茹でにする場合は海水ぐらいの濃いめの塩加減で茹で、そのまま冷まして冷蔵保存してください。

すだちは今が旬のサンマの塩焼きに・・・。大根おろしがなくて申しわけないのですが、魚介のフライなどにもお使いください。