スーパー・ムーンの下で

2011年3月第4週

今週の野菜セット

左から

三月十一日午後二時四十六分。

この国の災害史にまた新たな日付が加わりました。しかも十八年前の一月十七日よりはるかに広範囲にわたり、津波のあった海岸線には地獄絵図が広がっています。命からがら避難所にたどり着いた人々も、空腹を抱え、寒さに押しひしがれている・・・。災害とは一瞬にして人の尊厳を奪い去るもの、と今回しみじみ実感させられました。合掌。

今回ショックだったのは、月がまだ七日目で、三日月がすこし膨らんだぐらいの状態でこれだけの地震が起こったことです。関東大震災にせよ、阪神淡路にせよ、大きな地震は月の引力が最大になる満月時に起こっているので、月が小さいうちは地震があったところで、たいしたことはないと思いこんでいたのです。

原発の安全神話とともに、わたしの満月神話も脆くも崩れ去ったわけですが、わたしの個人的な思いこみも、根拠がないという点では電力会社や経済産業省の喧伝と同列だったわけですね。もっともわたしの思いこみなど崩れたところで、だれの迷惑にもなりませんが、もう一方の神話のほうはそうはゆきません。福島原発から六十キロ離れた須賀川には、連絡を取り合っている農家が何軒かあります。周辺住民の「不安」とマスコミでは報じられていますが、大多数の人が不安よりもやり場のない怒りを抱えながら、事態の推移を苛々と見守っているようです。百五十キロ離れたこのあたりだって、他人事ではありません。みなさんにこの通信が届くころには、事態が一段落。収束に向かっていることを祈るばかりです。

今回の地震の影響は首都圏にも出ているようです。友人から送られてくるメールからは、ガソリンスタンドの長蛇の列やら、スーパーの品不足、交通の混乱などが伝わってきます。原発よりも、殺気立った買い物客から発散される璋気のほうがわたしは怖い、というメールもあったぐらい。

こちらは人口が少ない分、そういうパニックもなく、ガソリンを求める列が何キロ続いたところで道路が広い。比較的平穏ですが、それでも夜間に車からガソリンを抜き取る輩がいるそうです。被災地への募金と称して、留守番の年寄りから小銭を集めてまわる人もいるぐらいですからね。エゴという璋気はどこにでも漂っていて、有毒ガスのようにわたしたちを麻痺させているようです。

わたしたちの中にもそんなガスはあるわけで、ウランの火が作る汚れた電気とわかっていても、暮らしの中から電気が消えたらなにもできない。だから遠く離れたところの住民が危険と隣り合わせでも、しかたがないと目を瞑っていたわけです。今回のような惨事にならなくても、放射能は常時微量に漏れていたはずで、原発周辺では交通事故が多発するという奇妙な現象があったそうです。当然、癌患者も多くなる。そんなエネルギーの恩恵にあずかっていたわたしたちが、今回、お裾分けをいただいている。そう思えば、だれにも文句はいえなくなります。

ライフラインがストップすると、蝋燭から離れたとたん、家の中でも真の闇に遭遇します。そういう闇の中では、懐中電灯の灯りなど、たちまち闇に呑み込まれるようで、あまり役には立ちません。余震に何度も揺り起こされながら、しかし不思議と恐怖感はなく、ぼんやりと昔読んだバリ島の正月の話など思い出し、布団の中で反芻していました。

バリ島の正月は三月で、新月のときと決まっています。その前日がオゴオゴと呼ばれ、大晦日にあたるのですが、集落ごとにオゴオゴという張りぼての鬼を総出で作り、それを担いで練り歩き、最後に燃やしてしまうのですが、このときはガムランも加わってお祭り騒ぎになるそうです。

その翌日、新月の日がニュピ。しかし、ほんとうに新年がはじまるのはその翌日で、ニュピは大晦日と新年の間にある真空地帯のようなもの。丸一日、飲まず食わず、外出もせず、灯りも点けない。寝てもいけない。すべての活動を止め、瞑想に入ることですべてをリセットするんだそうです。

そうしてすべてが生まれ変わったところで新年になる。わたしにとっては地震のあった十一日がオゴオゴで、翌十二日がニュピのようなものでした。そうして意識が生まれ変わった人は、わたし以外にもたくさんいたと思います。文字通り、湯水のごとく湯水を使っていたことに気がつく人もいるでしょう。あたりまえのように使っていた電気を見直す人もいるでしょう。食べものの大事さを再認識した人も、きっといるはず。

被災地の人たちの新年がいつになるか、今のところ見通しもつきませんが、かならず新生のときは来るはずです。その日を祝福したいと思います。

今週の野菜とレシピ

先週、停電のために井戸水を汲み上げるポンプが使えず、からからになってしまった椎茸ですが、だいぶ復活してきたそうです。が、馬田さんのところは結城、すなわち茨城県内なので運送会社が営業をストップしていて、椎茸を送ることができないそうです。届けられない距離ではないのですが、ガソリン不足でそれもできない。

そんなわけで今週も椎茸は入れられませんでした。先週、椎茸が欠品になった方には代品を入れなければなりませんが、野菜も端境期で余分がありません。しかたなく佐相さんのりんごを使わせていただきました。申しわけありません。

週末に四月並みのあたたかさになったため、ルッコラがかなり大きくなってしまいました。が、香りは変わりません。よく洗ってから、同様に大きくなったラデイッシュの輪切りと合わせてサラダにしてください。

じゃが芋も発芽がはじまりました。発芽がはじまると、じゃが芋のでんぷんがアミノ酸に変わるため、甘みが増しておいしくなります。ただし、進みすぎると芋がしわしわになってしまいますから、すぐにお使いにならないときは冷蔵庫の野菜ボックスに収納してください。


栃木県内でも空気中のヨー素やセシウムの量が、通常よりオーバーしています。風向きによっても変化しますが、すこしでも安全なものをお届けするために、農家には野菜を収穫する時間に注意してもらっています。

放射能にかぎらず、空気中にはダイオキシンなど、人体に有害なものが含まれますが、植物中の含有量が最大になるのが午前と午後の十二時。最少になるのが午前と午後の六時です。植物の呼吸は動物よりもはるかにゆったりとしたもので、六時間かけて吸い、吐き出しているのです。

この時期、霜の影響で早朝は無理なため、夕方に収穫してもらっています。状況がさらに悪化すれば、野菜セットの発送もできなくなるでしょう。今は祈るような気持ちで、成り行きを見守るしかありません。

それにしても福島フィフテイーのみなさん、現地に赴いている消防と自衛隊の方々の活動には頭が下がります。わたしたち、みんなのために命がけで闘ってくださっている。今は野菜や農地の心配よりも、かれらのために祈りたいと思います。