台風一過

2011年9月第5週

今週の野菜セット

左から

台風一過。みなさんのほうは大丈夫でしたか?

こちらはさいわい、大きな被害はなかったものの、ハウスのビニールが飛ばされたり、野菜が寝てしまったり・・・。芽を出したばかりの青菜など、土に埋もれて使いものにならなくなってしまいました。

わが家の最大の被害者はおびただしいアリ地獄たちでした。軒下を取り囲むように、雨のあたらないところにはびっしりと百を下らない漏斗状の小さな穴が開いていましたが、かなり奥まったところにあった巣までずぶ濡れになってしまい、そのひとつを指先で探ってみるとアリ地獄は動かなくなっていました。なかなか愛嬌のある虫で、占拠されている場所は踏まないように気をつけていたんですけどね。

アリ地獄が災難に遭うということは、餌になるアリのほうもたいへんだったはずで、土中の巣がかなり浸水しているのではないでしょうか。そんな風に考えはじめると、乾燥は嫌うけど水にも弱いダンゴムシはどうしてたんだろうと、こちらのほうも気になってきます。雨風に飛ばされてほしかったバッタやキリギリスのほうは、いたって元気に跳ね回っているのにね。

山の中に入ると敷きつめたように小枝が落ちていて、倒木もあちこちで道を塞いでいます。どんぐりも大量に落ちているので、気をつけないと足を取られそうになります。が、どんぐりといっしょに栗も落ちているわけですから、散歩もそっちのけで栗拾い。どっさり採って帰ってきました。

収穫できるのはそれだけではありません。夕立や台風の後には、半熟堆肥になった去年の落ち葉が流され、それがいたるところで小さな山になっています。八千年にわたってエジプトの農業を支えてきた「文明の素」がこれです。定期的に起こる洪水が農地を土壌の流失から救い、肥沃にしてきたのですが、アスワンハイダムの建設によってナイルは制御され、農場もまた化学肥料と土壌の喪失で、かつての古代文明とおなじ道をたどろうとしていますけど・・・。

その宝の山が乾いてきた頃を見計らって、毎日すこしずつ持ち帰るのが秋口の仕事でした。新しい落ち葉には発芽を抑制する物質が含まれているので、紅葉が終わるまでの短い期間です。新しい落ち葉を集めて堆肥にするという手もありますが、時間も労力もかかるので、わたしはずっとナイル方式でやってきたわけですが、飼料袋に一杯程度の堆肥でも、毎日のこととなるとかなりの量になるのですす。

その宝の山を前にして、今年は気が重い。微量とはいえセシウムが検出されているからです。そこにゼオライト、麦飯石、貝化石、炭の微粉末、微生物飼料をそれぞれ加えて、どれがいちばん除染に優れているか、実験してみようと思いますけど、こんなのは楽しみでもなんでもありませんからね。ほんとうにいまいましい、はた迷惑な事故でした。

しかし、人類の未来に暗い影を投げかけているのは原発だけではありません。機械化とともに大型化した農業そのものが、人類を破滅に追いやろうとしているフシがあるのです。かつて集約的な農業が行われたところは、ナイルの恵みに支えられてきたエジプトを除いてみんな没落しています。大きな文明があったところが、ほとんど例外なく砂漠化しているのは気候の変動などでなく、土地を疲弊させる農業のせいだったみたいです。

アフリカ大陸はかつて、豊かな大地を誇っていました。が、自国の農地を疲弊させ、人口を支えきれなくなったヨーロッパがしれを植民地化し、集約的な農業を持ちこんだためバランスを崩してしまい、定期的に訪れる乾燥期には飢餓に見舞われるようになったのです。もともとそこにいた人たちはそれを知っていたから、むやみに土地から搾取などしませんが、宗主国がおかまいなしに土壌を使い果たした結果、大量の餓死者を出すようになったわけで、気候の変動などというのはいいわけにすぎません。

自然破壊があるから気候が変動するわけで、それは結果でしかないのです。ローマ帝国があれだけ属州を必要としたのも、イタリア国内の農地が疲弊したからで、その属州の土壌まで使い果たしたところで帝国は没落したわけです。もちろんローマにも農学者はいて、早くから警告はしていたようです。曰く、農地を耕すのは小作に任せろ。奴隷に任せてはならないというのは、不在地主によるプランテーションはダメ。小規模農場を継続させろという意味だったそうです。

土壌の流失はほんとうにすこしずつなので、一代では目に見える変化はありません。が、数世代後にはそれが深刻な事態になるのです。しかもプランテーションではそれが何十倍にも加速されるといいます。でも、自作の小規模農場なら、事態が深刻になる前に手を打つこともできるわけです。

ところが現代では農業が機械化され、過去の教訓にもかかわらずどんどん大型化していますから、土壌の流失はかつてのプランテーションの比ではないといいます。今世紀中に地球上には耕作可能な表土がゼロになる、という恐ろしい試算もあるぐらい。いちばん危ないのがアメリカと中国の農業、それからグローバル化によって間接的に搾取される開発途上国の農地だといいます。

じゃ、日本の農業はどうなのかというと、こちらも心許ないかぎりです。地表水を利用する田圃というすぐれたシステムを持ちながら、目先の利益のためにそれが軽視されているからです。手耕しの数倍、土壌が失われるといわれている耕耘機が導入されて半世紀あまり。さらに土壌を疲弊させ、脆くする化学肥料や農薬が多用されるようになってからも、おなじ歳月が流れています。

今はまだ目に見えない。でも、数世代先にはかならずツケがまわってくる。人を養うことのできる土壌というのは、人間の皮膚より薄い地球の表層で、地域によって差はありますが、三センチの表土を作るのに百年も二百年も、ところによっては千年もかかるのです。ただでさえ表土の喪失が問題になっているところへ、原発事故の除染と称して表土を削り取るという・・・。なんともやりきれない話です。

文明を支えてきたのは土。一見、科学技術に支えられているかに見える現代文明だって、食糧生産に適した土壌がなくなれば消滅せざるを得ないのです。原発の継続なんていってる場合ではないと思うんですけどね。

今週の野菜とレシピ

好子さんのモロヘイアが強風でもみくちゃにされ、メニューから姿を消しました。茄子も風にもまれて傷だらけになっていますが、中身には問題がないので使わせていただきました。

ルッコラはサラダ用。ポテトサラダに刻んだものを混ぜるとおいしいですよ。ただし、ルッコラを加えるときはマヨネーズよりも、フレンチドレッシングに醤油少々を加えたもので和えたほうがさわやかな香りが楽しめます。

青山さんのも、風で倒れてしまったため、丸くなっています。倒れたところから起き上がろうとするので、こういう形になってしまうんだそうです。

紫蘇の実は数時間、水にさらしてアクを抜いてからお使いください。

来週は待望の小松菜が出てきます。野菜セットもようやく秋めいてきそうです。