日光三山

2011年4月第2週

今週の野菜セット

左から

このあたりの桜もほころびはじめ、今週末あたりには満開になりそうです。上野公園の花見は自粛という報道がありましたが、先日上京した友人の話では、自粛どころか屋台がいっぱい出てて、人混みを避けるつもりで不忍池のほうに行ったら、そちらも人でごった返していたとか・・・。

さすがにライトアップはしてなかったみたいですが、それでいいんじゃないでしょうか。大衆のエネルギーみたいなものが感じられなくなったら、この国は沈むしかありませんものね。こちらでも週末あたりには、あちこちで宴会がはじまるはずです。

月末には東北でも例年通り、桜が満開になるでしょう。そのときは数日間停電してもいいから、わたしたちが使うはずの電力で桜をライトアップしてほしい。お決まりの救援物資だけでなく、酒やタバコも送ってほしい。人はパンのみによって生くるにあらず。桜の下で酔うこともできないで、復興などできるわけがないのですから・・・。

負の非日常を生きている人々にこそ、華やいだ非日常が必要なんじゃないでしょうか。幸運にも日常を失わなかったわたしたちでさえ、花見酒でストレスを解き放とうとするのです。それを不謹慎だという人がいれば、そういう人こそ無知で無恥。自分の生活はなにひとつ変えないで、のうのうとしている人だと思いますよ。

わたしたちのストレスの根源は福島原発の放射線漏れ。今のところ減少傾向にありますが、まだまだ収束には時間がかかりそうなので、先は読めません。それがなぜか、このあたりの放射線量は東京・神奈川とさほど変わらないのです。都庁の数値の半分以下のときもあって、なんでそうなるの?風の具合でそうなることはわかっていても、なぜ遠く離れたところの数値のほうが高くなるのか、いつも不思議に思っていました。

わたしが神経質なぐらい、新聞に出ている放射線量をチェックしているのを、友人のひとりが笑いました。あんたねえ、そんなものよりもっと恐ろしいものがあるんだよ。それはなに?と尋ねたら、なにかはわからないけど、とにかく怖いもの、というという返事。いいかげんです。

わたしたちはよくいっしょに山歩きをするのですが、彼女はかなり遠くのほうにも出かけて行きます。いわゆる名山というものに登ったことのないわたしとちがって、装備も本格的だし、経験も豊富。その友人が日光三山のひとつに登ったときの話をしてくれました。このあたりからでも、お天気のいい日には日光の山々がくっきりと見え、今の時期なら頂に雪を載せた峰が濃紺の山肌を見せています。そのひとつ、男体山に彼女は仲間といっしょに木々の生い茂る山道を登り、頂上近くの岩場まで来たとき、仲間の一人がいったそうです。これから福島県側に降りるけど、風景が一変するからね。夏山なので雪はないけど真っ白になるというのです。なぜかというと、木がみんな枯れているから。なぜ枯れたのかというと、それは不明で、酸性雨かもしれないし、黄砂だという説もある。ちゃんとした調査結果がないのでわからないんだそうです。

マスコミも取り上げないけど、あの調子じゃほかの山も片面、真っ白になってるよ。放射線も怖いかもしれないけど、ああいうのも怖いよねえ、とコーヒーを淹れながら友人がいいました。彼女が自分で焙煎するコーヒーはほんとうにおいしいのです。

それを飲みながら、謎が解けたと思いました。このあたりは日光三山に守られていたんです。男体山、女峰山、太郎山といった二千四百メートル前後の峰を持つ三山は、昔から霊山として崇められ、今でも修験道の霊場になっています。それが衝立になっていたのです。

平安時代初期、空海が生きていたころのことです。そんな大昔に勝道上人が命がけで開山。そのとき千手観音が出現したという千手原は、なぜか戦場ヶ原と名前を変え、フダラク(極楽の意)が二荒(フタアラ)に、それがニコウを経て日光へと名称を変え、観光化されてきましたが、三山は千年以上も変わることなく霊山であり続けたのです。

その霊山が北面を真っ白にしながら、巨大な衝立と化してこちら側を庇護してくれている・・・。ありがたくて、恐れ多くて、遠くの山に向かって合掌しました。それと同時に、名山などはどうでもいいけど、この三山だけはいつか登ってお礼をしたいものだと思ったしだいです。

今週の野菜とレシピ

先週に引きつづき、愛媛の春キャベツが入ります。毎年、春先は野口さんに助けられていますが、今回ほどありがたく思ったことはありません。

野口さんも四国に聳える山のような人。小柄なのにタフな人で、その昔、輸入オレンジの自由化で柑橘農家が首を吊る騒ぎをしていたとき、農家を集めていったそうです。カルフォルニア産のオレンジを食べたことのある人はいるか?あんなまずいものはないから、みんな一度は食べてみてほしい。そうして冷静になって、今後のことを考えてほしい。かならず消費者はもどって来る。それまでに技術を磨いて、もっと安全でおいしいもの作ろうではないか。

嘆いている暇があったら、勉強しろといったわけです。柑橘農家の指導者となった野口さんの元で、やがて愛媛は高級柑橘類の産地に生まれ変わります。しだいに野菜農家も集まるようになり、わたしたちとのつきあいも二十年ちかくなりました。困ったときには助けたり、助けられたり・・・。マイナスをプラスに転じるには多大な努力があったでしょうが、わたしたちもそれに倣ってがんばりたいものです。

キャベツをざくざく切って、油で炒め、鰹節と醤油で猫まんまみたいにしたら、意外なおいしさ。ご飯がよく進みました。さっと湯がいて、甘酢で和えてもおいしいですよ。

小松菜はハウスものなので、霜にあたった露地ものにくらべたら頼りないかもしれませんが、おつゆの浮き実、胡麻和えなどでお召しあがりください。

ニラはおひたしかナムル。京菜はお昼に焼きそばに使ってみたら好評でした。京菜の焼きそばは塩味にして、一味とうがらしを効かせるとおいしいくなります。