被災地の臭い

2011年4月第3週

今週の野菜セット

左から

満開の桜が散りはじめ、飛び交う花粉もスギからヒノキに代わりました。足元の草花も百花繚乱で、一年中でもっとも色鮮やかな季節です。

それなのに、なかなか華やいだ気分になれないのは、地震や津波の傷跡がいつまでも尾を曳いているからでしょう。被災地ではタンポポも、オオイヌノフグリの青い花々も、みんな押し流されるか、泥土に埋まってしまいました。たとえ花が咲いていても、避難中の人たちはそれを見ることができない。でも、一番に復活するのもまた、そういった路傍の草花にちがいありません。

泥土の中の喜びも悲しみも、毒も薬も吸い上げて濾過。それをあんな可憐な花々に昇華させるのですから、植物ってほんとにすごい。小さな草花の逞しさが、きっと足元から復興を手助けしてくれると思います。

アラレちゃんの近所に住む人が、津波の被害を受けた宮城県に出かけたそうです。安否の確認ができない親族がいるので、居ても立ってもいられなかったのでしょう。勇んで出かけたのはいいけれど、帰ってくるなり寝ついてしまったそうです。

捜索などまどろっこしくて待っていられない。もう自分が行くしかない、という意気込みだったのでしょうが、現地に着くなり茫然となってしまい、人を捜すどころではなかったといいます。想像を絶する惨状だったわけですが、それにも増して「臭い」がひどかった。鼻を突く異臭の元は亡くなった人と犬や猫、それに打ち上げられた魚類の腐臭で、それに生ゴミや下水、漁船などから漏れだした重油の臭いが加わって、この世のものとは思えない「臭い」になっていたとか。

新聞やテレビ・ラジオではぜったいにわからないのがこの「臭い」で、帰ってくるなり着ていたものを脱ぎ捨て、髪を洗ったにもかかわらず、いつまでもつきまとうぐらい強烈なものだったといいます。

この話を聞いたとき、子供のころの恐怖体験を思い出してしまいました。これも「臭い」の話です。

わたしの生家は神戸の海辺にあったので、浜辺が遊び場所になっていました。今はみんなフェリーの発着場になってしまいましたが、当時は小さな漁港があり、子供が遊ぶ砂浜が広がっていたものです。桜貝というピンク色の貝殻をいくつ持っているか、というのが女の子のステータスだったので、波打ち際を歩きながら目を皿にして探すのが常でしたし、おままごとに使うアオサやら赤や白の海藻を拾いに行くこともありました。

当時、わたしたちがおままごとに使っていた海草類が、今スーパーに行くとサラダ用のパックになっていたりしてね。懐かしいけど、なんとなく買う気になれない。おままごとのイメージが強すぎて、食べものという感じがしないのだと思います。

そんなわけで、小学校の低学年あたりまではしょっちゅう出かけていたのですが、あるときを境に、ひとりでは浜辺に入れなくなってしまいました。なにがあったのかというと「臭い」です。ぶらぶらと波打ち際を歩いていたら、突如ものすごい臭気にからみつかれたのです。鼻を突く、などというような生やさしいものではなく、全身が呑まれ、わたしという存在自体が根底から脅かされるような「臭い」でした。

十メートルぐらい先にお腹がぱんぱんに膨らんで、毛皮も抜け落ち、赤裸になった犬らしきものの死体があったのです。ぞっとしました。必死で逃げ出しましたが、浜辺が終わる堤防の外に出ても、一度からみついたものは落ちてくれません。そこからさらに走って家に帰り着いても、まだ「臭い」の微粒子が身体のどこかに残っているようで、恐怖がまつわりついているのでした。

今となっては「臭い」が怖かったのか「死」が怖かったのか、よくわかりませんが、たった一匹の犬でさえ、それだけ強烈で暴力的だったのです。瓦礫の下にどれだけの「死」があるかわからないような状況では、大の大人が寝ついてしまうのも無理はないかもしれない、と思いました。

それにしても頭が下がるのは、そんな中、遺体の捜査をしている消防団と自衛隊、警察の人々です。きっと「臭い」は生涯、あの人たちにつきまとうことになると思うと、ほんと身につまされます。

あの一件以来、犬そのものが嫌いになって、それは大人になってからも続いていましたが、そんな後遺症から解放されたのはここ十年ぐらいでしょうか。

「臭い」のことを忘れるために、今度はちょっといい話。

犬の散歩でよく会うおじさん、地震のあと、ひさしぶりに会ったら、うちの犬にそっくりなクロちゃんに子犬が生まれていました。おじさんの家は裏山の反対側にあって、すぐ近所に学習用の宿泊施設があります。そこに福島県から百人前後が避難しているのですが、中には子供も大勢います。その子供たちが毎日、子犬をさわりにやって来るそうです。

おれなんか、なんにもできないんだけどさあ、子犬といっしょにいると、子供の顔がぱあっと明るくなるんだよね。それ見てると、おれも嬉しくなっちゃって・・・。

子犬たちはもらい手が決まっているそうですが、もうちょっと、もうちょっとと引き取りを延ばしてもらっているそうです。子供たちも子犬も、早く永住できるところに落ち着けるといいですね。

と、ここまで書いたところで大きな揺れがありました。震源が栃木県南部。ちょうどこのあたりだったので、すぐに電話やメール、ファックスが入り、安否を気遣っていただきました。

さいわいなんの支障もありませんでしたが、なにかある度にみなさんがそうやって心配してくださる。そんなお気持ちがきっと大黒柱になってくれている。だからこんな安普請でも安泰でいられるんだろうね、と話し合っています。いつもありがとうございます。

今週の野菜とレシピ

今回は友愛作業所の原木椎茸が入りました。干し椎茸でおなじみのところですが、子供たちも大きくなって、みんなもう三十代。心身障害児授産施設だった友愛作業所も株式会社となり、廃品回収の傍ら、パンやクッキーを作り、年々販路を広げています。

パンやクッキーはプロの指導が入りますが、農産物のほうはそうではありませんので、椎茸の出方も気まぐれだし、おおきさも形もばらばらです。おなじ原木栽培でも水をかけたり、温度を上げたりして出荷調整をしているものより、すべて成り行きに任せている分、味も香りも濃厚に感じらると思います。

新玉葱はスライスしてオニオンサラダ。京菜は一夜漬けにしてどうぞ。