薪ストーブの灰
2012年3月第4週

左から
- 薬味ネギ
- 春菊
- ジャガイモ
- 椎茸
- 文旦
- 小松菜
- 小カブ
水仙よりひと足早く、庭先のクロッカスとムスカリが花をつけはじめました。白梅の蕾はまだかたく閉じられていますが、紅梅はいつの間にか開花して、あたりに芳香をまき散らしています。
もう春分です。例年なら、いたるところで菜の花が見られるはずなのに、今年は地面に張りついていたあぶら菜がようやく伸びはじめたところ。梅の開花も例年より半月以上遅れています。今年の寒さは格別でしたからね。
その長くて寒い冬も、ようやく終わりを迎えそう・・・。春に三日の天気なし、とはよくいったもので、このところよく雨が降りますが、雨あがりの陽光はあたたかく、ひと雨ごとに春の気配が濃厚になってくる感じ。いい感じです。この調子でスギ花粉の舞う時期も、さっさと通り過ぎてほしいものですね。
会津にお住まいのIさんからお手紙をいただきました。例年なら薪ストーブから出た灰を畑に撒いたり、野草のアク抜きなどに使っているのに、知人宅の灰からキロあたり一万五千ベクレルものセシウムが検出されたのだとか。直売所では、そんな灰を利用して作るトチ餅からも高濃度の「無主物」が検出され、灰の使用が禁止されているそうです。
お手紙には、これからみんな、ワラビなんかのアク抜きにも灰ではなく、重曹を使うようになるんだろうか。先人の知恵がまたひとつ消えてゆくようで、それがかなしい、とありました。また、引き売りに来ている隣町の豆腐屋さんが、うちの大豆は国産から全部カルフォルニア産に替えました、と胸を張っていたのにも、なんだかなあ、という気持ちになったそうです。
益子町でも、灰から釉薬を作るのが禁止になっているそうです。焼きものがメイン産業なので、万が一のことがあっては困るという商工会の判断です。それを聞いて、わが家のストーブから出る灰が心配になり、測定を依頼しました。少量の汚染でも、燃やしてしまうと凝縮されるので、上記のような高い数値になりかねないからです。
さいわい検出はされませんでしたが、かといってゼロというわけではないでしょう。精巧なガイガーカウンターでも二十ベクレル以下は検出されないので、念のため、畑に使うのは諦めました。わが家のストーブから出る灰は、毎年、好子さんと青山さんが利用しているのですが、今年はやめておこうということになりました。二十ベクレル以下のセシウムが野菜に移行することはないのですが、万全を期すに越したことはありません。
しかし、問題も残ります。草木灰が使えないとなると、石灰という化学肥料に頼らざるを得ないからで、そうすると野菜の質がわるくなります。今年は土壌に残留しているものでなんとかなるにしても、来年からどうするか・・・。農家にとっても陶芸家にとっても頭の痛い問題です。
焼きものだって、灰釉と鉱物質の釉薬とでは、大きなちがいがあるんですよ。おなじ青でも、松の灰から出てくるものと鉱物質のものとでは、風合いが全然ちがうのです。松のそれは、おなじ青でもやわらかく、あたたかみがある。のみならず、植物性の釉薬を使った食器は、使えば使うほど、古くなればなるほど味があるというか、風格が出てくるんです。
このあたり、化学肥料と有機肥料の関係にちょっと似ているかも。見た目のいい化学肥料を使った野菜と、噛めば噛むほど味の出てくる野菜みたいなね。灰釉薬は大量の草木灰に水を加え、それを何度も何度も漉したあげく、ほんの少量が手元に残るので、農家の堆肥作りより手間も時間もかかります。そんなわけで、手っ取り早く鉱物性の釉薬を使う人のほうが圧倒的に多い、という点でも現代の農業に通じるところがあります。
ワラビだって、灰でアク抜きをしたものと重曹を使ったものとでは、味が全然ちがいますものね。灰の文化が廃れてしまいかねないという危惧は、Iさんひとりのものではありません。あらためて「無主物」というものの罪深さ、ダメージの大きさを思ったのでした。
食べものも食器も、わたしたちが「豊かな生活」を望めば望むほど、品質がわるく、貧しくなってくるというパラドックスに多くの人が気づいているはずです。それでも世界は見せかけの豊かさのほうへ動いていく・・・。
電気ポットで沸かしたお湯なんて、ふつうの味覚を持っていたら不味くて飲めないはずなのに、それがあたりまえになってしまうように、便利になるのと反比例して生活の質は落ちて行きます。田舎でも、自家製の醤油を作る家はとうの昔になくなって、味噌作りをする家も少数派。農家ですら、あたりまえのようにスーパーの漬け物を買ってくるようになっています。
都会でも、おやつを作りながら子供の帰りを待つような母親は絶滅種で、ヘタをするとご飯もろくに作ってもらえない。いくら大きな家に住んで、立派なダイニングテーブルがあっても、そこで子供がカップヌードルをすすっていたのでは、こんなに貧しい風景はなく、家族がちいさなちゃぶ台をかこんでいるほうがどれだけ豊かだったか。
懐古趣味でいうのではなく、これだけ生活の内実が空疎なものになってくると、わたしたちの五感もまた正常に機能しなくなるのではないか。とくに子供たちからそういう感覚が失われてゆくと、この先どうなるのかと思うと、それがおそろしいのです。時間を金で買う灰色男たちの跋扈する、ミヒャエル・エンデの「モモ」の世界が彷彿されますが、モモのように時間泥棒に闘いを挑むような子供が、はたしてこの国で育つのかどうか。それが気になるところです。
今週の野菜とレシピ
先週、ようやくほうれん草が出てきたと思ったら、生育が思わしくないので今週はお休み。申しわけありませんが、もうすこし大きくなるまでお待ちください。
ほうれん草の代わりに小かぶが入りました。かぶは生のまま、味噌をつけて食べると美味。味噌にマヨネーズを混ぜると、子供にも食べやすくなります。かぶの甘みを味わうにはこれが一番。食べにくいようなら、半分に切ってくださいね。
じゃが芋が入りますが、在庫がすくなくなっているので、隔週でお送りしている方には玉葱を使わせていただきます。じゃが芋も玉葱も、北海道産のものはこれで終了。次回からは愛媛産の新玉葱になります。