夕立

2012年8月第3週

今週の野菜セット

左から

お盆の週です。

田舎暮らしをしていると、お盆前になるとまるで戦場のようにあたりが殺気立ちます。親戚一同が集まるところに、子供夫婦、孫夫婦も帰ってくる。迎える側はてんてこ舞いで、スーパーマーケットには長蛇の列ができ、ちょっとした買い物も思わぬ大仕事になります。

そのうえお墓の掃除と草むしり。お盆前には町内全体の美化運動というのもあって、朝早くから町民総出で道路の草刈り。あっちでもこっちでもけたたましく草刈り機がうなり、まるで暴走族のデモンストレーションのよう・・・。こんなときには人も車もすくなくなる、閑散とした都会の風景がなつかしく思い出されます。

とはいっても、農家のお嫁さんにくらべたら、こちらはいたって暢気なものですけどね。

殺人的な暑さは一段落したようですが、その分湿度が高くなったみたいです。気象庁というところはあまり役に立たないけれど、これを「不快指数」と名づけたところはお見事でした。ほんとに不快ですものね。

地球温暖化説は眉唾ものですが、中でも炭素が原因物質だというところが科学的ではありません。炭素がいくら増えても気温は上がったりしないからです。濡れ衣を着せられた炭素を横目に、ほくそ笑んでいるのが湿度というやつ。これはなければどんなに太陽ががんばっても、日が暮れると急激に温度は下がります。砂漠の気候がそうですものね。

しかし、この不快な湿度のおかげで、雨らしい雨がなくても植物たちは夜間に結露させ、生き延びることができるのです。日照りだ、旱魃だと騒いだところで、このじめじめした暑苦しさに救われている。そう思ったら邪険にはできないけど、不快であることに変わりはありません。

反対に炭素のほうは体感することがあまりないのですが、炭素率の増加に正比例にしてアレルギーが増えるという報告もありますから、温暖化に関しては無罪でも余罪のほうがタチがわるそうです。どいつもこいつも不快ですが、立秋も過ぎたことだし、お盆過ぎにはもうすこし過ごしやすくなってくれるといいんですが・・・。。

山の向こうに日が落ちて、残照の中、カナカナの羽音が降りそそぐころになってようやく人心地。その時間帯になると、風が急に冷たくなるからです。なぜかというと夕立があるからですが、どこか遠くの夕立は涼風だけで、雨のお裾分けはしてくれない。遠雷とともに水が数粒、落ちてくることはありましたけどね。

それが週末、雷さまから見捨てられたかのようなこのあたりにも鳴り響き、ひさびさの雨となりました。よく時代劇なんかで、日照りが続いていた農村に雨が降ると、お百姓さんたちが家から飛び出してきて、うれしそうに雨にあたる場面があるでしょう。そんなシーンを見ながら、そりゃうれしいだろうけど、現実にあんなことする農家がいるだろうか、と冷めた目で見ていたんですね。

ところが今回、それを自分でやりながら笑ってしまいました。半分は苦笑でしたけど、残りの半分は時代劇のお百姓さんとおなじ喜びです。あのお百姓さんたちはわたしなんかとちがって、生活のすべてがかかっているわけです。不作でも年貢は取られる。手元になにも残らなければ娘を女郎にするしかない。そんな状況に置かれたら、雨の中に飛び出すどころか、泥の中を転がりまわりたくなっていたかもしれません。

というわけで、マンネリみたいに見えるシーンでも、それを馬鹿にしてはいけないのでした。最近、時代劇など見る機会はあまりないけど、これからは真面目に観賞しなくちゃ、と思ったしだいです。

今週の野菜とレシピ

ようやくゴーヤが実をつけはじめました。5、6月の低温で伸び悩んだため、今年は遅いスタートです。

実そのものも今年は小ぶり。なのでそれを補うため、青山さんと好子さんのきゅうりがすこしずつ入ります。このところの雨不足で、きゅうりに空洞ができている場合があります。外から見たのではわからないので、中にはそんなきゅうりがあるかもしれませんが、ご容赦ください。

こんなに畑が乾ききっていても、きゅうりの内部はみずみずしい。きゅうりというのはまるで魔法使いか、砂埃を水に変える錬金術師みたいだと思っていましたが、やっぱり限度があったようです。茄子もよく頑張っていると思います。でも、週末の雨のおかげで、どちらもほっと息をついているんじゃないでしょうか。

ほんとうは今週、好子さんの枝豆が予定されていましたが、カメムシの食害で出荷できなくなってしまいました。雨がないので、例年より虫の卵が孵りやすく、カメムシも大量発生しているようです。わが家の自家用の枝豆もやられましたし、ゴーヤにもついています。はらはらしながら見ていますが、農薬もないし、使いかたもわからない。お手やわらかにお願いします、というよりほかありませんよね。