自然の怪力

2012年7月第2週

今週の野菜セット

左から

ようやく梅雨らしい空模様。先週いっぱい、昼間は晴れて蒸し暑くなりますが、夕方になると冷たい風が吹きはじめ、雲が出てきてひと晩中、しとしとと雨が降るという理想的な状況が続きました。

ところが南のほうに目をやると、台風並の大雨続き。台風なら通り過ぎた後に晴天が広がるのですが、浸水した畳や家財を乾かす間もなく、また汚水が押し寄せてくる・・・。尋常な梅雨ではないようです。

しかし、問題は大雨よりも、それを一カ所に集中させてしまう都市の構造のほうにあるのかもしれません。舗装された道路はぬかるみにはならない代わり、水を吸収しないまま押し流してしまいますし、そうした水を受け止める河川もまた護岸工事が行き渡っているため、大水を分散させることができない。一気に低地にあふれ出してしまうようです。天災といっても、その大部分は人災なのかもしれません。

天災とか異常気象といった言葉はいたるところに転がっており、わたし自身もしばしば口にしますが、そのたびに感じる居心地のわるさというか、口にしながらそれに反発するものがこみ上げてくるという奇妙な感覚。その違和感を分析し、わかりやすい文章にしてくれたものがありましたので、ご紹介します。

以下は中沢新一著「アースダイバー」(講談社)からの抜粋です。

現代人は自然の「怪力」というものは、ある日突然、平和な日々をたのしんでいる人々に襲いかかって、むごたらしい惨禍をもたらすものだと、考える癖がついている。つまり、自然のふるう怪力は地震や津波となって、人々の暮らしの「外」から襲いかかってくるもので、理不尽さにおいて、戦争の悲惨さと同質であるというのが、この社会での一般的な受け止め方である。

こういう思考法は科学と技術の粋を利用してつくられた、強力な壁によって守られた都市の空間の中で生活するのに慣れきってしまっている感覚から、生まれてくる。都市は自然の怪力をそぐための、さまざまな工夫をこらしている。そのために、都市生活者には、自然の怪力は自分たちの生きる世界の外のものである、という感覚が育つようになるのだ。

ところが、昔の人はそんなふうには考えなかった。彼らは、自分たちがその上で暮らしをいとなんでいる大地は、もともとふるふると揺れている鯨や龍の背中に乗っているような、じつに不安定なもので、鯨や龍がなにかの拍子にからだをひと揺すりするだけで、背中の上でくりひろげられていた平穏な日常生活などは、ひとたまりもなく崩れさっていくものだ、という感覚をもって生きていた。

そういう感覚をもった人たちにとって、自然のふるう怪力は、自分たちの世界の外のものではありえなかった。そもそも人の暮らしそのものが、怪力をひそめた自然に包まれるようにして、つつましく過ごされていた。人の暮らしは自然の怪力と無縁であるどころか、その怪力の背中に乗っているものだから、人生は不確かで、不安定なものに感じられていたのである。

だから、彼らは地震のような大災害に見舞われても、ただ呆然と悲嘆にくれているのではなく、もうつぎの朝になれば、ふたたび鯨や龍の背中の上に、自分たちの新しい生活を立て直すべく、せっせと働きはじめたのだった。

この本が出たのは2005年ですが、わたしが手にしたのは去年のこと。3月11日から数ヶ月を経たころで、直接被害を受けたわけでもないのに、なかなかショックから立ち直れなかった。そんなときです。

中沢氏が注意深く、自然の「暴力」とはいわず「怪力」と表現したことに、まず感銘を受けました。地震と津波という「悲惨」が、理不尽な暴力によるものではないと思えるようになったとたん、ふっと身体が軽くなるような気がしたものです。

しかし今回は、ふたたび鯨や龍の背中の上で新しい生活を立て直そうにも、それがかなわない人が大勢います。科学と技術の粋をこらして作られたはずの壁が、障害となって立ちはだかっているのです。テクノロジーというのは子供の遊び、といってわるければ基本的にその延長線上にあるものであり、それを使いこなすのは成熟した大人でなければならないはずです。長期的な展望に立って、たとえそれが膨大な時間と金をかけたものであっても、あえて破棄することもできるような、原始社会の長老のような存在が必要とされるのですが、現代社会の長老たちはおのれの蓄財のことしか考えない。

そのために騒がしい尖閣諸島の何倍もの面積が、帰還すらできない土地になっているのに知らん顔。あんなきな臭い離れ小島よりも「福」の島、うつくしが島のほうをなんとかせんかい。人災と認めつつ、易々と再稼働に乗り出した連中に、そんなことを求めるほうがまちがっているのかもしれませんけどね。

ちなみにこの「アースダイバー」という本は、現在の東京都に縄文時代の地形を重ね合わせ、土地の持つ記憶を堀り起こす形で書かれた都市論です。盛り場の喧噪の足元に、今もしっかり縄文時代の記憶が残っているのがわかります。都内にお住まいの方はぜひご一読ください。

また、大阪編も「週刊現代」に連載中とのこと。大阪の方も自分のよって立つ場所がどういうところか、興味があれば覗いてみてください。

今週の野菜とレシピ

ようやく夏野菜がそろってきました。きゅうり茄子トマトピーマン、それにモロヘイアが加わりました。ただし、夜間の気温によってはモロヘイアが不足するかもしれません。そのときは代品が入りますので、申しわけありませんがご容赦ください。