十三夜

2012年11月第1週

今週の野菜セット

左から

ようやく秋らしくはなったものの、いっこうにそれが深まる気配がありません。北のほうからはじまった紅葉も、当分はこのあたりまでは降りて来られないみたいです。

庭先の箒草だけがショッキングピンクから深紅へ、深紅から臙脂色へと移ろって、彩りを添えていますが、樹木のほうはまだまだ。霜月になろうというのに、まだ草むらにバッタがいるぐらいですからね。冬はどこかで足踏みしているのかもしれません。

寒さを期待するわけではないけれど、寒くならないと冬野菜に味がのらない。とくに小松菜やほうれん草は霜にあたって甘みを増し、やわらかくなるのですから、朝、起き出すのが少々つらくても我慢しなくちゃね。そろそろ野菜にそういうものが加味されてもいい頃だと思います。

いつまでもあたたかさが残っていると、葉っぱにつく虫だけでなく、土中の線虫類もいなくなりません。カブやダイコンの表面についた傷が、線虫の食害にあったところ。彫刻家よろしく、根菜の表皮に象形文字のような模様をつけるのですが、この判読に苦しむ文字群がときとして内部にまで侵食するんですね。やっぱり季節は暦通りに進んでくれないと、いろいろ支障があるみたいです。

今年の十五夜は台風17号にかき回されましたが、先週末の十三夜はおだやかな天気に恵まれました。まるで春先のようなおぼろ月がこのあたりでは見られ、その点でも十五夜とは対照的でした。

じつは今年も十五夜は見ることができたのです。夜中の二時前後、それまで吹き荒れていた風が止み、雨音もしなくなって、その静けさで逆に目が覚めてしまったのですが、縁先に出てみると頭上に満月。台風一過の澄みわたった夜空に、こわいほど冴え冴えとした月が浮かんでいたのでした。

まるでこちらを睨みつけているかのような満月にくらべたら、十三夜のおだやかさは眠気をさそうほどで、輝き具合といい、欠け具合といい、絵にはならないかもしれないけど、これぐらいの凡庸さのほうがつきあいやすいと思いました。

日暮れが早くなるのは慌ただしいけれど、そのかわり新月が日ごとに大きくなっていくのが手にとるようにわかります。三日月ぐらいだと、夕刻にはすでに西の山の背に隠れそうになっていますが、半月あたりで中天。月の出は日ごとに一時間ぐらいずつ遅くなるので、十三夜あたりになると東の山から出てくる形になります。夕刻の散歩が終わるころには、それが真上に来るわけで、月がしだいに膨らむ姿が手にとるようにわかるわけです。

そうすると、まるで月を育てているような錯覚をおぼえるわけで、満月になるとなんともいえない充実感があるんですね。ただし、それを過ぎると月の出が夕刻の散歩には間に合わなくなるので、せいぜい楽しめるのは十六夜まで。それを過ぎると、立ち待ち月、家の中で待つ居待ち月、寝待ち月、真夜中月とだんだん人目にはつかなくなってしまいます。痩せ細っていく姿は、人には見せたくないのかもしれません。

夕刻の空から月がなくなると、しかたがないので懐中電灯を持参することになります。月を見ながらどこまでも歩いていくこともなくなってしまうので、犬もなんとなくつまらなそう・・・。また当分は暗夜行路が続きそうです。

今週の野菜とレシピ

好子さんのブロッコリーが入ります。小房に分けて、さっと湯がいたら、あとはサラダでもグラタンでも、お好みで・・・。わが家では小房に分けたものを生のまま、茎の部分も皮をむいて食べやすい大きさにして土鍋に入れ、それを蒸し焼きにしています。あつあつにポン酢をたらすとおいしいですよ。

青首大根も出てきました。とはいっても、まだ小ぶりですから、短冊に切っておつゆの実か、千六本に切って葉っぱもいっしょに一夜漬けか。これがおでんなど、煮もの用サイズになるのは再来週あたりでしょうか。待ち遠しいですね。そのころには気候も冬めいてくるでしょう。

春菊は胡麻和えがおすすめ。3センチ前後に切ってさっと湯がいた春菊を、摺り胡麻と醤油、砂糖少々で和えるのですが、このとき酢もすこし加えてみてください。醤油をポン酢に替えてもOK。酸味がすこし入っただけで、春菊が数倍おいしくなります。

ほうれん草の胡麻和えに酢は不要ですが、胡麻のかわりにピーナッツやくるみを細かく砕いて和えると目先が変わります。ピーナッツバターを使ってもおいしいんですよ。