タヌキの糞から学んだこと

2013年1月第2週

今週の野菜セット

左から

極寒が続きます。今月の後半にはいくらかゆるむものの、またぶり返すといいますから、油断はできません。

野菜が高騰しているという話を聞いて、スーパーの野菜売り場を覗いてみると、なにからなにまでびっくりするような値段。この寒さでは野菜が育たないからでしょう。こちらでも後蒔きのほうれん草や小松菜が育たなくて、農家が根を上げています。ほんとうなら今ごろ出てくるはずのブロッコリーも、ピンポン球ぐらいで生育が止まっているそうです。

この冬とそれに続く端境期をどう乗り切るか、ひしひしと身にしみる寒さとともに、深刻になってきそうです。

かと思うと、南半球からは熱波のニュース。これだけ気候が極端になっているのは、いうまでもなく各国の経済活動が原因なわけですが、それがわかっていても経済活動というのは右肩上がりでなければならない。まるで麻薬のように作用するみたいです。

この国も債務を減らすために消費税の増税を決めたばかりなのに、またぞろ景気対策と称して国債を大量に発行するというのですから、開いた口がふさがりませんが、それを歓迎するのはいったいどういう人たちなんでしょう。ともあれ、これでまた富める者はさらに富み、貧しい者は持てるものも奪われるというわけです。

経済発展は貧富の格差を拡大する以外のなにものでもありませんが、よしんばそれが公平に分配されるものであったとしても、食糧問題はどうなるんでしょう。夏も冬も年々過酷になってゆきますが、そうなるといちばん影響を受けるのが農業です。金は手にしたものの、口に入れるものがなくなってしまったのでは、なんのための経済活動だったのか、わからなくなってしまいます。

ひと頃ほど騒がれなくなった酸性雨も、また深刻になりつつあるようです。黄砂に混じって吹き寄せられる重金属とともに、恵みの雨が農地を汚染するようになったところへ、原発はゆるゆると再稼働へと向かいそうな気配。農業の高齢化など、憂いている場合ではないのかもしれませんね。

それでも年が明けて、だんだん夕刻が長くなってゆくのが、まるで吉兆のように感じられる今日このごろ。風が身を切るように冷たくても、日没に追いたてられることもなく、ゆっくりと家路に向かえるというのはありがたいことです。一緒に歩いている犬も、遠くまで足を伸ばすようになりました。

この時期の山に入ると、イノシシがなにかを掘り返した跡が目立ちます。山芋を掘ったところなど、まるで落とし穴のように深くえぐられています。藪の中には糞が山積みになっていて、それもイノシシのものだとばかり思っていましたが、それはタヌキのものだとか。タヌキの糞はところかまわず落とすのではなく、トイレにする場所が決まっているそうです。複数のタヌキがトイレを共有することで、そこを情報交換の場にしているんだとか。

糞というのは食べもののなれの果てですから、仲間がなにを食べたか。どっちへ行けばそれにありつけるか、おたがいに知らせ合っているわけです。古くなった情報は土塊同然になっていますが、新しい情報交換の場は強烈な臭いを発しているので、犬もそれに刺激されるようです。臭いをたどって、どんどん藪をかき分けて行く・・・。

犬は向学心に燃えているようですが、こちらは感染症が心配だし、帰り道がわからなくなってはたいへんです。それに獣道というのは、人間の背丈ではなかなか前に進めませんからね。ほどほどで引き返して来るのですが、犬のほうはなかなか戻って来てくれないので、糞の山を横目に休憩することになるんです。

どうせならもっと見晴らしのいいところで休みたいものですが、暇にまかせて枝を折って糞のひとつ、臭いのあまり強烈でなさそうなものを崩してみますが、食べものの元の姿を想像することはおろか、それが植物性のものか動物性のものかすら知ることができません。人間って、生の情報には弱いというか、そういう感覚がすっかり失われているみたいです。

どうでもいいような情報ばかりが飛び交っている社会にどっぷり浸かっていると、生の情報というか、生き死ににかかわるような本物の情報からどんどん離れてゆく。だから目先の経済などという「生」とは無縁の、いや、もしかしたら「生」を犠牲にもしかねないものに振り回されているのかもしれない、と思ったのでした。

今週の野菜とレシピ

後蒔きの分が育たないため、ほうれん草が姿を消しました。寒さがゆるむまでしばらくお待ちください。

小松菜もなかなか大きくなれませんが、今となってはこれが唯一の貴重な青菜です。大事に使ってくださいね。

青山さんのミニ白菜といっしょに入るのは、おたふく大根。青首大根は寒さに弱いため、露地ものは年明けには使えなくなりますが、霜にあたっても傷みにくいのが特徴です。里芋といっしょに筑前煮などでどうぞ。