春の摘み草
2013年3月第4週

左から
- ほうれん草
- 小松菜
- アブラナ
- 京菜
- ニンジン
- 薬味ネギ
- ほうれん草
桜が咲きました。真冬の寒さから一気に気温が上がったせいで、例年より開花が早くなったみたいです。三月中に桜が咲くなんて、このあたりでは滅多にないことなんですけどね。
真岡の町中は桜並木が多いので、どっちを向いても淡い花色に煙っていて、文字通りの春爛漫。先週、お彼岸のぼた餅を作ったばかりなのに、今週はもう花見弁当という慌ただしさですが、それが苦にならないどころが春というエネルギッシュな季節の特徴なんでしょう。
足元にはヨモギとタンポポ。昨年、一昨年と顔を出さなかったツクシも、ようやく機嫌を直したかのように出てきました。これでまた、夕刻が忙しくなりますが、これもまたうれしい仕事になりそうです。
辛夷(こぶし)の大木も三年ぶりに花をつけました。どういうわけか、あの地震以来、ツクシも辛夷も頑なに沈黙を続けていたんですね。
地震直後にも、梅や桜は何事もなかったかのように花をつけ、わたしたちを安心させてくれたのですが、辛夷だけがそれを拒否しているかのようでした。でも、よく考えてみたら、梅は咲いても昨年、一昨年と実がほとんどつかなかったのです。公園や道ばた桜は実を収穫することがないのでわかりませんが、わが家に一本だけサクランボ用の木があって、それも花はつけていましたけど、実はなりませんでした。実をつけたところで、野鳥が食べるだけなのであまり気にはしてなかったんですけどね。
地震と植物の関係はよくわかりませんが、地中に根を張り巡らせるものが低周波の影響を受けないわけがない。野菜にしても雑草にしても、根の浅いものはそれほど関係ないのでしょうが、スギナのように地中深く広がるものは樹木並みの影響を被っていたのかもしれません。ツクシはスギナの花ですからね、だから出たくても出られなかったんでしょう。
そんなわけで今年の春は格別なんです。満開の辛夷の樹下でツクシを摘んでいると、ようやく平穏な世界がもどってきたという感じがします。震源地から遠く離れた山中でさえ、回復に二年もかかっているのですから、被災したところが地力を取り戻すにはもっともっと長い時間がかかるはず。その茫洋とした時間のことを考えると、春のまっただ中にいながら春が遠いという、濃霧のような春霞がたちこめて、なんだか申しわけないような気がしてきます。摘み草ができるというのも、今となっては贅沢以外のなにものでもありませんものね。
週末から寒のもどりというほどではないけれど、気温が下がってきたので、今年の桜は長持ちしそうです。
世の中が一過性のバブルという、後先を考えない上っ面の景気対策に動きはじめた今、この長持ちというのがたいせつなキーワードになるんじゃないかと思います。それよりもっとたいせつなのが「責任」なんでしょうが、なんでもかんでも力のない個人に押しつける「自己責任」というのはあっても、力のある者ほどそれとは無縁になるという、奇妙な世界ができあがっています。
そんなおそろしい世界の片隅で、摘み草をしながら一喜一憂しているなんて、もしかしたら愚の骨頂?愚かでもいい、仕合わせならば・・・。そんな替え歌で春を満喫しているしだいです。
今週の野菜とレシピ
この時期になると、畑にたむろしていたヒヨドリたちが忽然と姿を消してしまいます。山の木々が芽吹きはじめたので、そちらのほうに移動するんでしょうか。平安を取り戻した畑に、ウグイスのさえずりが響きわたっています。
ヒヨドリの大群が姿を消すのと、気温が上昇するのが同時ですから、青菜はぐんぐん大きくなってトウが立ち、花をつけはじめます。このトウの部分をかたくなる前に収穫すると、甘みがあっておいしいんですよ。
というわけで、今週の小松菜はこのトウの部分が入ります。菜の花がついているので、あぶら菜と見分けがつかないかもしれませんが、葉っぱがギザギザしているほうがあぶら菜。小松菜もあぶら菜の仲間なので、おなじような花をつけるんですね。トウの部分はアスパラガス感覚でご利用ください。湯がいて、醤油とマヨネーズだけで食べてもおいしいですよ。
京菜は茎の白い部分を細かく切って、納豆に混ぜると美味。葉先のほうはお吸い物にしてくださいね。
大根も千六本に切って、納豆ときざみ海苔で食べてみてください。納豆のとろみで山芋のような食感になります。
エシャロットは生のまま、味噌とマヨネーズをつけてどうぞ。