田植えの風景
2014年5月第1週

左から
- 葉付きニンジン
- 京菜
- 山ウド
- 新タマネギ
- タケノコ
ついこの間まで、うっすらと赤みを帯びていた山々の稜線が、一面、新緑に変わりました。淡い緑色にところどころに山桜のピンクが混じって、マリー・ローランサンが風景画を描いたかのよう・・・。もうすこししたらこのパステルカラーも、つややかな生命力に溢れた色に萌えあがります。
それと同時に、地上では着々と田植えの準備が進んでいます。田圃は水が入ると、巨大な鏡に変身します。その鏡面が周囲の新緑を反転させながら、ときにさざ波を立て、ときには狂ったように陽光を乱反射して見せます。それは同時に、さまざまな動植物を育む生命のスープ皿でもあります。
こんな贅沢な風景があるだろうかと、田植えも稲刈りも経験したことのない者は思うのですが、当事者はそれどころではないみたいです。
田植えという年中行事にかかってくるプレッシャーというのは、常人の理解をはるかに超えているようです。みんなが口をそろえていうには、べつに慌てる必要なんかないんだけど、どうにもこうにも落ち着かない。みんな、さっさと済ませてしまって一段落したいものだから、よけいに気がせくみたいです。
今年こそマイペースで、と思っていても両隣が田植えを終えてしまうと、置いてきぼりを食ったみたいに感じてしまう。本人が気にしなくても、家人、この場合、なぜがどこの家でもうるさいのは婆ちゃんなのだそうで、朝から晩まで田植え、田植えとプレッシャーをかけられる。青山さんもご母堂ご存命のうちは、この時期だけは婆さんを絞め殺してやりたくなる、とぼやいていたものです。
そんなわけで、だれも急いでなどいないにもかかわらず、ほとんどの農家がゴールデンウイークの間にあたふたと田植えを終えてしまいます。いくら人手が確保できるとはいっても、まるで集団催眠術。みんながおなじ時期におなじことをしなければならないから、年に一度しか出番のない農機具も各自で所有。メンテナンスもしなくちゃならない。
はじまりがいっしょなら、当然収穫期も横並びになりますから、ここでもコンバイン、脱穀機、収穫した米の乾燥機などが各自の負担になるわけで、これで国際的な競争力をつけろったって無理な話ですよねえ。
数年前、近所の納屋で火事があり、そこに収納されていた耕耘機から田植機、コンバインまで一切合切が使いものにならなくなってしまいました。お見舞いに行ったはいいけれど、なんといっていいか言葉をにごしていたら、奥さんが満面の笑みでお茶を勧めてくれながら、助かったわあ、これで来年から田植えなんかしなくて済むんだもの・・・。
周囲の奥さんたちの反応も似たり寄ったりで、いいなあ、××さんちは納屋が焼けて。うちもだれか火をつけてくれないかしら、といった調子。だってねえ、あなた、うちあたりの規模じゃ、米なんて作るより買ったほうがずっと安いんだもの・・・。
そのときのショックは、あたかも世界が反転したかのよう、などという悠長なものではなく、いきなり食糧自給のちゃぶ台返しを目前にしたような暴力的なものでした。こんなにうつくしい、こんなに豊かな風景が消えてしまったら、この国はどうなっちゃうんだろう。
稲作の先行きを案じるかのように、青山さんは今年もまた、季節限定の胃潰瘍に悩まされはじめたようです。それは周囲の田植えが終わってもしばらくの間、彼の田圃だけが取り残されるせいでしょうか。お母さんがいなくなっても、なにかしら駆り立てるものがあるのかもしれません。
骨折からちょうど一週間。
先週の今ごろは脂汗を流しながら、整形外科の待合室のソファにうずくまっていたんですね。息をするのも辛かったのがウソのよう。先週いっぱいかけて徐々に身体を慣らして山歩きも再開。すこしずつ距離を伸ばしています。
骨折と聞いて、里芋湿布を送ってくださった奥多摩のSさんに感謝。これは炎症を鎮めるとともに痛みを除いてくれるので、ほんとうに助かりました。ありがとうございます。
花粉症と風邪のダブルパンチの中、早朝にタケノコを堀り、ほとんどひとりで箱詰め、発送をしてくれたアラレちゃんにも感謝。当人が痛い思いをするだけならともかく、周囲にこれほど迷惑がかかるとは思いませんでした。これからは年相応に自重して、みなさんにも迷惑が及ばないよう、心がける所存です。ご心配をおかけして申しわけありませんでした。
今週の野菜とレシピ
今週もタケノコが入りますが、先週お送りした方にはトマトが入ります。タケノコの下ごしらえに関しては、先週の通信を参考にしてください。
山ウドとニンジンできんぴらというのはどうでしょう。山ウドは皮も葉もみんな使えます。
京菜は細かくきざんで一夜漬け。それにちりめんじゃこと煎り胡麻を加えて菜飯にすると、大根の菜飯とはひと味ちがいます。