江戸囃子

2015年10月第4週

今週の野菜セット

左から

ひと雨ごとに秋が深まっていくようです。益子の山々もてっぺんからすこしずつ色づきはじめ、今年は夏の一時期が異様に暑かったのと、秋口、急に肌寒くなったのが重なって、例年より彩りが鮮やかになりそうです。

そんな折、紅葉の名所のひとつ・日光に出かけてきました。霧雨が煙る早朝の出発で、この時期の雨は、春先に収穫するあぶら菜の発芽を促してくれるありがたいものではあるのですが、今回はちがいます。先週十六日は東照宮参道で流鏑馬神事が行われる日で、わたしたちはそこで江戸囃子を奉納するため、寄り集まっていたのでした。流鏑馬とお囃子にいったいどういう関係があるのか。しかもなぜわたしがそんなところにいるのか、謎だらけだと思われますので説明しておきますね。

東照宮造営の際には日本中から職人が集められましたが、宵越しの金は持たない男たちのこと。完成後はあちこちで仕事をしながら帰って行ったそうですが、そのときに江戸の男たちから伝承されたお囃子が栃木県に残っているそうで、それを伝承している会が東照宮で神事などが行われる際、それが奉納されたりするんだそうです。

そんなたいそうなお囃子とは露知らず、さそわれるままにふらふらと関わっているうちに、下手なりにも頭数に入っていたというのが実情で、太鼓に雨は禁物ですからね、気が気ではありませんでした。この一ヶ月ほどの猛練習も無駄になるわけですし・・・。

さいわい、それまでばらついていた雨が太鼓を叩くころになるとぴたりと止んで、それに続く時代行列みたいな参社行列、流鏑馬も無事に終わったころ、今度は本格的に降り出したのでした。主催者の行いがよかったんでしょうか。でもね、社務所で振る舞われた昼食の幕の内。見た目は豪華なんだけど、びっくりするほど中身がお粗末で、馬以外の人間はみんなあれを食べたのかと思うとなんだかね。流鏑馬の勇姿を見る目にも微妙に影響していたかもしれません。

期待していた日光の紅葉も、益子の山中とさして変わらず、がっかりの一日でした。

今年からじゃが芋の生産者が変わります。五年前に横畠さんが心筋梗塞で倒れて以来、息子さんが後を継いでいましたが、息子さんといっても五十歳ちかくになっていて、農業以外の仕事を持っていますから、じゃが芋作りに専念できるわけではありません。芋の植えつけや収穫といった大仕事は若手がやっても、ふだんのこまごまとした除草などは七十過ぎの奥さんがしていたわけです。それが、わたしももう身体がぼろぼろになってしまって動けない、という状況になれば、広大な畑は農業法人の手に委ねるしかなくなってしまいます。そんなわけで、今年からは横畠さんから紹介された小堀准ーさんにお願いすることになりました。

益子でも真岡でも、高齢になって農地が維持できなくなると、安い地代で農業法人に貸与するケースが目立ちますが、ある程度以上の機械の入りやすい農地でなければ使ってもらうこともできません。そういう畑が虫食いのようにあちこちで草の生い茂る放棄地になっているのを見ると、このまま農業が斜陽産業化していったら、わたしたちの孫の世代はどんなものを食べて子供を産むんだろうと暗櫓とした気持ちになります。一億総活躍なんてバカいってないで、一億総家庭菜園作りに励まなくっちゃね。

今週の野菜とレシピ

三年ぶりに馬田さんの椎茸が出てきました。震災で設備を滅茶苦茶にされた後、再建はしたものの空調がうまく行かなかったり、病気が出たりと不運が続いていました。会員の中には、馬田さんはどうやって家族を養っているんだろう、と心配する向きもあったぐらいです。菌床にシルクを使った独特な味と香りのキノコの復活を祝って、今夜は焼き椎茸にでもしてみましょうか。

大根はまだ小ぷりですが、それでも先週のことを思えば、たった一週間でずいぶん立派になった感じがします。おでんにするにはもう一週間ぐらい待ったほうがよさそうですが、短冊に切ってきんぴらにすると、ことこと煮こんだ大根みたいな味がします。

じゃが芋は横畠さんのメイクイーンから、おなじ旭川の小堀さんの男爵に替わりました。