末法の時代

2015年11月第1週

今週の野菜セット

左から

木枯らしが通り過ぎて、一気に秋が深まりました。夕闇の訪れも日に日に早くなるので、寒いうえにうす暗い。寒い、暗い、それに空腹が加わると人は悲観的になって死に急ぐ、というのを昔、読んだことがあります。それも文学書ではなくて漫画。「じゃりんこチエ」のお婆ちゃんが、鉄道自殺をしかけた若い男に屋台のラーメンを食べさせたときの台詞です。なるほど、いくら薄暗くて寒くても、あたたかいものでお腹をいっぱいにしてしまったら、絶望もとろけてしまいそう・・・。死とは正反対の熟睡が待っていそうです。

学校帰りに立ち寄ったうどん屋あたりで出会った台詞なんでしょうが、それから何十年も秋風が立ち、夕暮れに追われるようになると、どこからともなくお婆ちゃんの台詞が響き、登場人物とともに小鉄やアントニオといった猫の名前まで思い出します。古今東西の文学書を網羅しているわけではないけれど、どちらかといえば多読の部類に入ると思うのですが、人生の要所、要所で反芻されるのは、ナチスの強制収容所をくぐり抜けてきたフランクリンの「夜と霧」を除いたら、この漫画ぐらいなんですね。しみじみ名著だと思いました。

読書の秋です。古典文学など柄ではないのですが、このところ「方丈記」を毎晩、ちまちまと読んでいます。もちろん現代語の解説つきですよ。文法などわからないからさっぱり歯が立たず、敬遠していたにもかかわらず、どういうわけか「平家物語」には心惹かれるものがありました。そんなわけで平安末期から鎌倉時代にかけて、歴史オンチにもかかわらず妙にくわしくなってしまい、そうしたら当時の世相といったら、源氏だ平家だなどといってる場合じゃないぐらい、すさまじいものだったんですね。

地震に大火、それに加えて飢饉や疫病がつぎからつぎと襲いかかり、ばたばたと人が死んでゆく。まさに芥川龍之介の「羅生門」の世界です。強烈な屍臭は当然、宮中にまで押し寄せていたのでしょうが、そんなことは意に介せず、累々と横たわる死体を跨ぐようにして天皇も上皇も貴族も武士も、ひたすら勢力争いをしていたんですね。鴨長明だけがまるで新聞記者のように、事があるごとに方丈(四畳半)の庵を飛び出して、被害状況を記録していたわけです。

新古今和歌集を編纂した官僚詩人の定家など、××大路に出るも死人多くて(牛車が)進めず、なんて「明月記」に書いていて、まるでゴミ扱い。せめて寺院関係者ぐらい、ねんごろに葬ってくれてもよさそうなものなのに、比叡山の僧たちは武装して都中を荒らし回っているといった体たらく。この時代、法然だの親鸞だの日蓮だの、新興宗教が続々と生まれてきたのも自然の成り行きだったんでしょう。地震や火事で住むところがなくなっても、だれも助けてくれないどころが、わずかに残ったものさえ奪われてしまうような世界です。人が頼りにならなかったら、神仏に救いを求めるしかなかったでしょうからね。

鎌倉幕府が誕生したらしたで、そこはまた血で血を洗う骨肉の争いの場となるわけで・・・。そこにも繰り返し巨大地震が襲ってくる。当然、津波も押し寄せていたでしょう。京も地獄なら鎌倉も地獄。八百年も昔の話なのに、ときおりそこに現代がふっと顔を出すように、異臭が鼻先をかすめることがあるのです。そうして薄ら寒い気分になるとベッドから起き出して、あたたかいお茶でも飲んで仕切り直し。暗い、寒いにお腹がからっぽでは、わたしみたいに脳天気な者でも魔がさすかもしれませんからね。

今週の野菜とレシピ

好子さんの大根が再登場。大根の煮物やおでんが恋しくなってきました。木枯らしがあたたかい湯気の立つほうへ、わたしたちを追い立てているかのよう…。そういうときは逆らわず、あつあつの大根で身体の芯からあたたまりましょうね。

白菜はもうすこし時間がかかりそうですが、ほうれん草小松菜でも鍋料理はできます。お好みで肉類、魚介類それに豆腐や椎茸を加えておたのしみください。

出はじめの春菊は逆にサラダのほうがおすすめです。果物と相性がいいので、梨でも柿でもりんごでも、手近にあるものをスライスし、春菊といっしょに酢:1、塩:1、油:5~6を白濁するほどよくかき混ぜ、醤油少々を加えたドレッシングで召し上がってみてください。